大相撲

関脇以下の優勝力士キラー2

2018年6月20日

大正15年協会制定の優勝制度が始まった。
それに伴い取り直し、不戦勝制度が整備され
ていった。最初の優勝者は常ノ花である。
キラー昭和初期A
昭和初期の関脇以下の優勝力士キラーの特徴
は2度達成した力士が出てきたことである。
第1号は清瀬川である。大正12年春場所横綱
栃木山に勝ったのに続いて昭和3年春場所
大関常陸岩を倒している。栃木山には大正
11年春場所にも勝っている。
『清瀬川』 秋田
<清瀬川のブロマイド>

清瀬川の最高位は関脇。右四つから上手投げ、
二丁投げをくりだした。また巻き落とし、
外掛けなどの足技もあり、多彩な技で活躍
した。入門は元幕下の荒玉の熊ヶ谷部屋だっ
たが、部屋を敷島(海山の友綱部屋出身)
に譲ったため、元友響(友綱部屋出身)の
楯山部屋に移籍した。引退後は楯山部屋を
引き継ぎ、伊勢ヶ濱部屋として照國、若瀬川
らを育てている。

ほかに2度優勝力士に勝った力士は、錦洋
(玉錦と常ノ花)、山錦(玉錦に2度)が
いる。玉錦も優勝豊國に2度勝っているが、
自身も何度となく優勝している。大関で3連
覇しても横綱に昇進できなかった記録をもつ。
玉錦
<玉錦のブロマイド>

キラー昭和戦前A
昭和7年は春秋園事件で多くの力士が脱退

した。取組が組みにくいため系統別総当たり
制が実施された。昭和15年、出羽海部屋系の
力士が幕内半数近くを占めたため、再び東西
制に戻っている。2度優勝力士に勝った力士
は清水川(武蔵山と沖ツ海)と大邱山(清水
川と男女ノ川)がいる。
五ツ島
<五ツ嶋のブロマイド>

全勝優勝が多い双葉山だが、数少ない優勝で
双葉山を倒した関脇以下の力士が3人いる。
その栄誉にあずかったのは、五ツ嶋・豊嶋・
清美川である。69連勝をストップした安藝ノ
海はよく知られているが、五ツ嶋・豊嶋・
清美川の共通点はと問われ、答えられる方は
少ないようである。なお、双葉山の69連勝目
は駒ノ里である。こちらはご存知でしたで
しょうか。

ワールドカップで日本が勝利した
ニュースが駆け巡った1日でした。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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