大相撲

玉の海梅吉氏が語る双葉山の強さ1

2018年2月18日

双葉山の強さを語れる世代はほとんどいない
と思われるほど、時は過ぎ去っていった。
もはや双葉山は遠い昔の存在になりつつある。
しかし、今から約50年前の昭和42年、専門誌
「大相撲」(読売新聞社発行)名古屋場所
展望号で双葉山と大鵬を比較する企画が打ち
出された。双葉山と比較できる力士はこれ
までいなかった。大鵬が始めて比較対象と
なったのである。このとき大鵬はまだ現役で、
23回の優勝を達成していた。ただし、2度目
の6連覇を達成して2場所目であった。
双葉山ブロマイド7
<双葉山のブロマイド>

双葉山と同時代に生き、対戦したNHKの
解説者玉の海梅吉氏が双葉山の強さを記して
いた。記した内容は大部分が双葉山に関して
であって、大鵬のことはかなりスペース的
には少量で扱われた。まだ、大鵬は横綱とし
て途上であり、ここでは双葉山の強さについ
てのみ触れていくことにする。

双葉山は初め普通の力士だったという。玉の
海梅吉氏は言う。昭和七、八年ごろだと思う。
わたしたち二所ノ関の者は、部屋にけいこ場
がないので、師匠と彼がいる立浪部屋へけい
こに出かけたそのころの彼は、これといって
目立ったところない力士で、からだこそやわ
らかかったが、ただそれだけが取り柄の、なん
でもない取り口だった。

双葉山が強くなったのは大関、横綱のころ
だと玉の海梅吉氏はいう。双葉山対玉ノ海
(当時は「ノ」の字ある)の幕内初対戦は
昭和11年夏場所、双葉山が関脇で初優勝した
ときである。双葉山の大関はその翌場所で
ある。双葉山は昭和11年春場所から連勝記録
をスタートさせていた。
玉の海
<玉の海氏の著書>

玉の海梅吉氏が語る双葉山の強さは、とに
かく尋常一様でなかったという。双葉山の
強さ-。それは一口でいうと、どこからかか
っていってもビクといもしない-そこにあっ
た。押しても押しても、上体がゆら、ゆらと
ゆらぐだけで腰から下はさっぱり動かない。
まるで根がはえたよう。と肌で感じた双葉山
を語る。せめて上体でもかぶさってくるなら、
回り込んで立ち直れるが、下から根こそぎ
もってくるのだから逃げようがない…。こう
いったぐあいで全くどうしようもなかった。
と述べている

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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