昭和31年初場所は、本名四股名の成山が殊勲
賞を受賞した。だが、横綱・大関の成績が
悪すぎた。それは殊勲賞が取れなかった朝汐
も同様である。優勝は横綱鏡里が14勝1敗で
優勝した。1敗は新大関若ノ花がつけた。
その若ノ花は13勝2敗の好成績であった。
2敗は横綱栃錦と吉葉山戦によるものだが、
吉葉山戦は誤審だった。「100%わしが勝っ
ていたよ」と若ノ花は憤慨したが、優勝を
逃す痛恨の誤審となった。
春場所。優勝決定戦の末、大関若ノ花に勝っ
て初優勝した関脇朝汐が殊勲賞を受賞した。
ただし、勝った3横綱は不成績であった。
朝汐は9勝-9勝-12勝優勝で大関昇進は
なかった。若ノ花の人気は当時凄まじかった。
その若ノ花の優勝は夏場所実現した。平幕
大晃と優勝決定戦を制しての初優勝であった。
殊勲賞はその若ノ花を倒した鳴門海が受賞
した。
秋場所の殊勲賞は玉乃海が受賞した。優勝は
14勝1敗の鏡里であった。その鏡里に土を
つけたのは鳴門海であったが、5勝10敗と
負け越していた。鶴ヶ嶺も玉乃海に劣らない
内容だったが、受賞できなかった。
昭和32年は福岡開催の場所が加わり、年5場
所制になった。一月場所は信夫山が殊勲賞を
受賞したが、内容的には横綱が不成績だった。
現代なら該当者なしになっていたかもしれ
ない。この場所は千代の山が全勝優勝したが、
これが最後の優勝となった。
三月場所は玉乃海が殊勲賞を受賞した。しか
し、内容的には優勝した朝汐のほうが上だっ
た。玉乃海はその関脇朝汐に千秋楽に勝って
いる。敢闘賞は琴ヶ濱、技能賞は北ノ洋で、
朝汐は関脇優勝しながら三賞は一つも受賞
できない珍事となった。朝汐は大関に昇進
した。
五月場所の殊勲賞は安念山が受賞した。安念
山は3勝2敗から9連勝して初優勝も達成
した。12勝3敗の横綱栃錦とは初日に戦って、
安念山が勝利している。この勝利が優勝と
殊勲賞を引き寄せた。
九月場所の殊勲賞は2横綱、2大関を倒した
白い稲妻北ノ洋である。攻めが速く、栃錦、
若乃花を苦しめた。優勝力士栃錦に勝った
のは、若羽黒である。横綱・大関戦の勝利は
この1勝だけだが、栃錦唯一の黒星である
だけに貴重であった。
記念すべき福岡初開催の本場所十一月場所は、
若羽黒が栃錦・吉葉山と2横綱を倒して殊勲
賞を受賞した。丸い体型で左はず、右おっつ
けの押し相撲。時津山、北ノ洋、安念山と
ともに立浪四天王といわれた。
昭和31年初~32年11月までは優勝力士に勝っ
ての殊勲勝は減っている。また、優勝力士を
倒して殊勲勝を受賞できなかったケースも
同様であった。
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られました。
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