稀勢の里が今日から休場した。昨日の勢戦で
足首を痛めたとのことだが、これでは弱り目
にたたり目である。先場所は10日目までもっ
た。今場所は半分の5日目までしかもたなか
った。連続休場は一挙に稀勢の里を窮状に
追い詰める結果となった。判断が甘かったと
いわれればその通りだが、適格な判断をする
者がいなかったことが、稀勢の里の悲運で
あった。
こんなとき、先代師匠の元横綱の隆の里が
生きていたら、とつくづく思う。30歳を過ぎ
て横綱になり、おしん横綱といわれるほど
辛抱の末横綱になった方だった。特に糖尿病
との戦いは自分だけでなく、知らない方の
無理解との戦いでもあった。隆の里のその
貴重な経験値は、ほかの師匠にはないもので
あった。
稀勢の里は大関に31場所もいた。横綱の最長
大関在位32場所の琴桜、武蔵丸に迫る数字で
ある。先代師匠が健在なら、もっと早く横綱
にしていたのでは、と思える。なにしろ、
隆の里は現役時代、千代の富士の強さを分析
し、徹底的に研究したほどである。千代の
富士との対戦成績は、16勝12敗と勝ち越して
いる。稀勢の里にもっと早く打倒白鵬を実現
させていたのでは。
師匠としては、学生をとらない、出稽古を
奨励せずが方針であった。出稽古で馴れ合い
を生むのを避けたのである。また、関取は
下の者を鍛える役割があるからだ。なんと
なく隆の里の師匠だった二子山(元初代若乃
花)を彷彿させる。横綱の経験があり、師匠
哲学があった先代師匠なら、きっと負傷稀勢
の里に適格な判断をしたのでは、と思えて
ならない。
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