大相撲

■名古屋6日目 稀勢の里をめぐるif

2017年7月14日

稀勢の里が今日から休場した。昨日の勢戦で
足首を痛めたとのことだが、これでは弱り目
にたたり目である。先場所は10日目までもっ
た。今場所は半分の5日目までしかもたなか
った。連続休場は一挙に稀勢の里を窮状に
追い詰める結果となった。判断が甘かったと
いわれればその通りだが、適格な判断をする
者がいなかったことが、稀勢の里の悲運で
あった。

こんなとき、先代師匠の元横綱の隆の里が
生きていたら、とつくづく思う。30歳を過ぎ
て横綱になり、おしん横綱といわれるほど
辛抱の末横綱になった方だった。特に糖尿病
との戦いは自分だけでなく、知らない方の
無理解との戦いでもあった。隆の里のその
貴重な経験値は、ほかの師匠にはないもので
あった。

稀勢の里は大関に31場所もいた。横綱の最長
大関在位32場所の琴桜、武蔵丸に迫る数字で
ある。先代師匠が健在なら、もっと早く横綱
にしていたのでは、と思える。なにしろ、
隆の里は現役時代、千代の富士の強さを分析
し、徹底的に研究したほどである。千代の
富士との対戦成績は、16勝12敗と勝ち越して
いる。稀勢の里にもっと早く打倒白鵬を実現
させていたのでは。

師匠としては、学生をとらない、出稽古を
奨励せずが方針であった。出稽古で馴れ合い
を生むのを避けたのである。また、関取は
下の者を鍛える役割があるからだ。なんと
なく隆の里の師匠だった二子山(元初代若乃
花)を彷彿させる。横綱の経験があり、師匠
哲学があった先代師匠なら、きっと負傷稀勢
の里に適格な判断をしたのでは、と思えて
ならない。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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