大相撲

大相撲ポスター余話

2017年4月16日

五月場所でちょっとした変化があった。それ
は場所のポスターが稀勢の里の土俵入りで
あることだ。これまでは奇をてらったような
ポスターがメインでずっと続いていた。それ
だけに目に付いた。思い起こせば1年前も
稀勢の里のポスターだった。もっとも七月
場所のポスターは中日新聞社と共催のため、
中日新聞社の意向が働いているから別モノで
ある。この変化は一時的なものか、そうで
ないかは今後をみていかないとなんともいえ
ない。
五月kise
<五月場所の横綱稀勢の里デザインのポスター>
 
稀勢の里のポスターはもちろん新横綱として
東京初お目見えということである。では初登
場の大阪場所はどうだったかというと、稀勢
の里の稀の字もない。これはポスターの決定
と印刷の日程の関係のためであると考えら
れる。

大相撲は、PRが長い間なく、ポスターなど
ない時代が続いた。東富士氏はタクシーで
行き先を大相撲の体育館へとつげたら別の
体育館に連れて行かれたという。ポスターが
できたのは昭和42年ごろである。電車や駅
に貼られていた。
五月場所
<H28年五月場所の稀勢の里ポスター>
 
北の富士、玉の海が新横綱のとき、ポスター
は2人だけだった。休場していた大鵬はポス
ターからはずされていた。大鵬はポスターの
扱いに奮起して北の富士、玉の海をおさえて
31回目の優勝を達成した。

ポスターは看板の横綱が多いが、両国新国技
館で初興行のときには国技館がポスターだっ
た。朝青龍が巡業を休場してモンゴルでサッ
カーをして出場停止に追い込まれたことが
あった。このとき九月場所のポスターは
朝青龍だったが、急遽白鵬に変えたことが
あった。
2014年5月
<H26年五月場所のポスター>
 
今のような相撲人気では、稀勢の里のポスタ
ーを見かけるのは両国駅だけかもしれない。
以前はチケット前売りの前日、整理券配布の
ときポスターが配られていたが、今は整理券
自体が事実上なくなっている。それだけに
稀勢の里のポスターは貴重になるかもしれ
ない。
初場所
 <H29年一月場所のポスター>
連絡が途絶えた相撲仲間が気になります。
興味深いテーマをこれからもお届けます。

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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