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栃錦・若乃花(初代)の出世街道

相撲史に類をみないほど拮抗した栃錦と若乃
花。それも、ともに小兵で(後年栃錦は体重
が増加した)ありながら、大型力士を相手に
して、時代を築いた。千代の富士が2人いる
ようなものだから相撲は面白かった。2人の
活躍はよく知られているところだが、出世
街道はどうであったか。まず、以下に目を
移していただきたい。
栃若表A
表を見るにあたり現代とは異なる点がある。
時代背景がまず違う。栃錦が前相撲を取った
のは昭和14年春場所であった。当時は年2場
所の時代であった。昭和14年春場所といえば、
双葉山の連勝が69でストップした場所である。
栃錦(大塚の四股名のときがあるが、ここで
は栃錦で統一)の表に新序がある。前相撲を
取った翌場所である。当時は前相撲で連勝
すると本中に進み、ここで2勝すると新序
出世という仕組みであった。今年の三月場所、
前相撲で2勝していない力士でも来場所は、
序ノ口である。栃錦の時代は今よりはるかに
厳しい制度であった。番付に名前が載るのに
時間がかかったり、載らないで終わったり
した者がいたほどである。
栃  錦
<栃錦のブロマイド>
 
栃錦は、幕下以下で負け越したのは序二段の
1度しかない。幕下で4勝4敗の五分の星が
2度あるだけである。師匠である元栃木山の
春日野は言う。「あれのえらいところは、
番付が上がれば上がっただけの相撲を取った
ということ。三段目へ上がったときは、無理
かなと思ったが、ちゃんと星を残す。幕下へ
上がれば上がったでなんとかやる。これが
あれの特徴です」
幕下以下を○15で十両入りした。現代ならば
○30以上が必要である。19歳3ヶ月であった。
ところが十両1場所を務めた後、なんと海軍
に身を寄せなければならなかった。兵役で
ある。2場所ほどのブランクで終戦を迎え、
十両に復帰した。復帰して2場所で入幕した。
昭和22年夏場所のことであった。
若乃花(時期によって「ノ」のときがあるが
ここでは乃で統一)の入門は、戦後の昭和
21年である。青森のりんご園が台風で壊滅的
打撃を受け、花田一家は北海道に身を寄せた。
長男の若乃花は一家を支える立場であった。
若乃花が相撲界にいくと一家の収入は減る。
それだけに若乃花は3年で関取という目標を
たてた。
若の花
<若乃花のブロマイド>
 
若乃花は序ノ口こそ2勝3敗と負け越したが、
翌場所序二段で5勝1敗の優勝。さらに三段
目でも6勝で優勝して幕下入りした。幕下
2場所目はどういうものか12日間相撲を取っ
た。千秋楽の相手は拓大相撲部出身の11勝の
吉井山であった。若乃花は吉井山の突っ張り
を受け止め、上手投げでぶん投げてしまった。
10勝2敗で、3年かからずに十両入りした。
十両は2場所で突破している。入幕は昭和
25年の春場所である。栃錦はそのとき小結で
あった。入幕までの出世街道は、若乃花の
ほうが早い。入門は栃錦の7年後だったが、
若乃花は栃錦との差を縮めてきていた。

幕下以下の若手の成長が楽しみです。
興味深いテーマをこれからもお届けます。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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