大相撲

ライバル差がつくとき 輪島・貴ノ花

2017年4月12日

貴ノ花が22歳年の離れた兄二子山(元初代若
乃花)に入門したのは、昭和40年であった。
兄二子山(元初代若乃花)は最初入門に反対
した。実の弟若緑で失敗していたし、何より
水泳で中学記録を出していたから、将来オリ
ンピックを目指せる逸材であった。なお貴ノ
花が「水泳では飯がくえない」と言ったと
いうのは伝説であるようだ。結局母の説得で
入門は許されたが、兄弟ではなくあくまで
師匠と弟子の関係として接することになった。

輪島
<ザンバラ時代の輪島>

2年連続学生横綱を引き下げて、輪島が初
土俵を踏んだのは、昭和45年一月場所であっ
た。学生相撲は普通初土俵を踏むのは卒業の
三月場所であるのだが、このあたりが普通を
普通と思わない輪島らしいところである。
このとき貴ノ花は幕内の前頭9枚目であった。

貴ノ花と輪島の差は大きくまだライバル関係
ではなかった。むしろ押しの一手の大受が
貴ノ花とともに期待される若手であった。
輪島が入幕したのは、初土俵から1年後の
昭和46年一月場所であった。その間角界の
プリンス貴ノ花は小結・関脇に昇進し、横綱
大鵬を倒していた。

蔵前の星輪島が新小結に昇進したのは、入幕
した昭和46年の十一月場所であった。このと
き貴ノ花は関脇であった。この年の10月安定
した腰で取る相撲の玉の海が亡くなられた。
このことに関しては以下をクリックして参照
していただきたい。

昭和47年は誰が優勝するかわからない乱戦

場所となった。一月場所から七月場所まで
関脇以下の初優勝であった。そんななかで
十一月場所貴ノ花と輪島が同日大関に昇進
した。貴ノ花と輪島がライバル関係にあった
のはこの頃であった。元栃錦の春日野は輪島・
貴ノ花に対して「今は完全に互角」と言って
いた。

大関初代貴ノ花
<角界のプリンス貴ノ花>

新大関の場所、両力士は明暗を分けた。輪島
11勝、貴ノ花9勝であった。そしてこの成績
が今後の2人を暗示していた。この後輪島は
安定した相撲を取り、大関4場所で横綱に
昇進した。貴ノ花は1ケタ勝利が続き、大関
として満足いく成績があげられなくなった。
輪島は横綱で14回優勝した。貴ノ花は大関50
場所を務め、優勝は2回であった。大関昇進
後両力士の差は開いていったが、ただ人気の
点では輪島は貴ノ花に及ばなかった。

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興味深いテーマをこれからもお届けます。

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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