大相撲

稀勢の里の初休場

2017年3月29日

三月場所、重症をかかえながら最後まで出場
した稀勢の里。その不屈の精神力に頭が下が
る思いである。それほどの稀勢の里が、実は
これまでたった1度だけ休場したことがある。
それも稀勢の里にとっては不本意な休場で
あったと記憶している。いったいどんな状況
だったのか。
170326千秋楽幕内・表彰 605
<三月場所負傷をおして優勝した稀勢の里>
 
稀勢の里が初めて休場したのは、大関13場所
目の平成26年の一月場所である。前場所は
2度目の13勝をあげ、この場所は横綱への
足場を築こうとしていた。にもかかわらず、
稀勢の里は不調であった。

この場所、白鵬と優勝を争ったのは、大関
昇進以降1ケタ勝ち星が続いた鶴竜であった。
鶴竜1敗、白鵬全勝で迎えた千秋楽。本割で
鶴竜が勝ち、優勝決定戦は白鵬が勝って28回
目の優勝を達成した。
140126千秋楽幕内 1487
<H26年一月 白鵬が大関鶴竜を倒して優勝>
 
稀勢の里は、結局12日目から3連敗で7勝7
敗に追い込まれた。千秋楽の対戦は大関琴奨
菊であった。だが、突如休場した。右の足
親指靭帯負傷によるものであった。だが、
当時いかにも唐突だった印象が強かった。
稀勢の里にとっては不本意な休場だったと
思う。休場を決めたのは、師匠の田子ノ浦
(元隆の鶴)の決断であった。
休場A
<H26年1月稀勢の里の休場を
伝える日刊スポーツ>
 
しかし、この休場によって稀勢の里は負け越
してしまった。大関唯一の負け越しとなった。
この場所もし勝ち越していたら、現在38場所
連続勝ち越し中であったことになる。稀勢の
里にとって、まさに痛恨で唯一の休場であっ
た。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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