三月場所、重症をかかえながら最後まで出場
した稀勢の里。その不屈の精神力に頭が下が
る思いである。それほどの稀勢の里が、実は
これまでたった1度だけ休場したことがある。
それも稀勢の里にとっては不本意な休場で
あったと記憶している。いったいどんな状況
だったのか。
稀勢の里が初めて休場したのは、大関13場所
目の平成26年の一月場所である。前場所は
2度目の13勝をあげ、この場所は横綱への
足場を築こうとしていた。にもかかわらず、
稀勢の里は不調であった。
この場所、白鵬と優勝を争ったのは、大関
昇進以降1ケタ勝ち星が続いた鶴竜であった。
鶴竜1敗、白鵬全勝で迎えた千秋楽。本割で
鶴竜が勝ち、優勝決定戦は白鵬が勝って28回
目の優勝を達成した。
稀勢の里は、結局12日目から3連敗で7勝7
敗に追い込まれた。千秋楽の対戦は大関琴奨
菊であった。だが、突如休場した。右の足
親指靭帯負傷によるものであった。だが、
当時いかにも唐突だった印象が強かった。
稀勢の里にとっては不本意な休場だったと
思う。休場を決めたのは、師匠の田子ノ浦
(元隆の鶴)の決断であった。
<H26年1月稀勢の里の休場を
伝える日刊スポーツ>
しかし、この休場によって稀勢の里は負け越
してしまった。大関唯一の負け越しとなった。
この場所もし勝ち越していたら、現在38場所
連続勝ち越し中であったことになる。稀勢の
里にとって、まさに痛恨で唯一の休場であっ
た。
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よしなに
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