大相撲

4横綱のゆくすえ

2017年2月9日

稀勢の里の横綱昇進で久々に4横綱が勢ぞろ
いする。しかし、賢明な読者は、4横綱時代
がけして華麗な時代でないのにお気づきだと
思う。土俵の目撃者では、昨年「検証!4横
綱の時代」を、総括を含めて10回にわたって
連載した。そこでは様々な問題点が浮上した。
170205トーナメント 670A
<新横綱稀勢の里>
 
まず、4横綱が皆勤することはまれである。
これまで横綱が実質地位化された常陸山以降、
4横綱は71場所ある。皆勤はそのうちわずか
14場所にすぎない。2割弱である。1横綱、
場合によっては複数の横綱が休場するのが
当たり前なのである。

もう1つ。4横綱時代はそんなに長く続か
ない。4横綱時代はこれまで15例あるが、
平均4.7場所しかない。最長は14場所続いた
千代の山、鏡里、吉葉山、栃錦である(皆勤
は1場所)。しかし、2ケタ以上続いたのは
わずか2例にすぎない。4横綱時代は短命で
終わる。4横綱時代は当然ながら、引退と
ともに消滅する。
170120十三日目十両幕下以下 1082
<優勝37回の白鵬>
 
さて、白鵬、稀勢の里、日馬富士、鶴竜の
4横綱時代は、どんな数字を残すか。いつ
まで続くか。まず、3横綱の時代をみてみる。
3横綱時代は17場所続いたが、皆勤は9場所
である。ただし、3横綱がそろって12勝以上
をあげたことは1度もない。この間の横綱の
休場をみると白鵬2回、日馬富士4回、鶴竜
4回である。3横綱時代も華麗な時代とは
言いがたい。

160107奉納土俵入り 058
<一月場所途中休場した日馬富士>

そうなると、現代の4横綱においても、皆勤
はそう多くを期待できない。まして現代の
4横綱がそろって12勝以上あげるのは皆無に
なる恐れさえある。それでは4横綱はどの
ようにして終焉を迎えるか。最年長は日馬
富士である。日馬富士は今年の4月中旬に
33歳になる。しかし、相撲通の間では今年
32歳になる鶴竜が先に引退するのでは、と
いう見方がある。それというのも鶴竜は、
第4の横綱の印象強いというのが理由だと
いう。

白鵬、稀勢の里、日馬富士、鶴竜は三月場所
以降再び4横綱の歴史をつくらんとしている
が、冷静な目で見たほうがいいのかもしれ
ない。
150721十日目幕内 133
<優勝の後途中休場した鶴竜>

2月が一番寒い。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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