1年前優勝した琴奨菊が、一月場所で2場所
連続負け越すとは、誰が想像しただろうか。
十一月場所5勝10敗、一月場所5勝10敗と
大敗しての大関陥落が決定した。三月場所
10勝以上すれば、規定によって大関に復帰
できる。これまで復帰できたのは三重ノ海
(横綱)、貴ノ浪、武双山、栃東(2回)で
ある。栃東が1度11勝をあげた以外は、なぜ
か10勝ばかりである。そもそもなぜこんな
規定があるのだろうか。そこには大関陥落
制度の歴史からくるモノがある。
大関陥落制度は昭和2年の東西合併とともに
できた。その当時は2場所連続負け越しで
あった。端境期に太刀光、大ノ里がいる。
完全に対象になった大関は能代潟から増位山
までである。むろん陥落場所の成績次第で
復帰できる規定はない。五ッ嶋は大関在位
2場所で2場所とも負け越した。
戦後場所数が増加し、昭和33年に現在と同じ
年6場所制になった。場所数の増加にとも
ない、2場所連続負け越しで陥落は過酷と
いう理由で、3場所連続負け越しで大関陥落
となった。端境期は三根山から松登までの
3大関である。完全な対象は琴ヶ濱から豊山
(前名内田)までである。琴ヶ濱などは2場
所連続負け越しが3度もある。北の富士も
大関時代連続負け越しの経験がある。
「大関になったら3場所連続負け越ししない
限り落ちないから、安心して相撲が取れる」
と発言した大関がいた。3場所連続負け越し
はあまりにもぬるま湯ということで、誰も
負け越しがいない昭和44年7月から2場所
連続負け越しに戻った。このとき力士会から
の提案で、陥落場所10勝以上の成績をあげ
たら大関に復帰できるという規定ができた。
当時清国が新大関だった。端境期が北の富士
から琴桜までである。清国から照ノ富士まで
が対象となっている。
現役を除き、太刀光から把瑠都まで大関は
44人いる。大関のままで引退した力士は20人、
大関を陥落した力士24人。そのうち10勝以上
で復帰の規定対象力士は14人である。10勝
以上の規定で復帰した力士3人。貴ノ浪は
再度陥落して復帰できなかった。規定外
から復帰した力士は魁傑。琴奨菊は果たして
復帰できるのか。けっこう狭き門である
ことは間違いない。
再度陥落して復帰できなかった。規定外
から復帰した力士は魁傑。琴奨菊は果たして
復帰できるのか。けっこう狭き門である
ことは間違いない。
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