大相撲

大相撲ナイター興行1

2016年12月11日

プロ野球、プロボクシング、プロレスなどの
プロスポーツは、平日はナイターでおこなわ
れる。いうまでもなく、仕事帰りのサラリー
マンをはじめ勤労者などがターゲットである。

実は大相撲もたった1度だけナイター興行を
おこなった歴史がある。昭和30年の秋場所で
ある。当時の番付は栃錦、鏡里、千代の山、
吉葉山の4横綱、大関が大内山1人であった。
この場所の番付の紙質が洋紙ザラ紙(昭和23
年秋場所より)から和紙別手すきになった。
秋場所は9月18日より15日間興行であった。
この場所は、鏡里が久しぶりに2度目(横綱
初優勝)の優勝を達成している。
鏡
<鏡里のブロマイド>
 
午前10時30分 取組開始
午後2時 幕下
午後3時半 十両
午後5時30分 中入り
午後8時 打ち出し

ナイターというより半ナイターというべきか。
午後5時終業のサラリーマンなどの勤労者が
観戦に来てくれる。幕内を見て満足してくれ
る、そんな思惑は砕かれた。反対は様々な
ところから吹き出てきた。学生は勉強時間に
さしつかえる。農家は夕方ならともかく、夜
の仕事にさしさわりが出る。花柳界やバーは
テレビ観戦ができなくなったなどである。

ナイターになって力士は、コンディション作
りが難しくなった。夕食の取り時が難しく、
体調を崩す力士が続出した。マスコミでは、
新聞が遠隔地向けの早版に時間的に間に合わ
なくなった。相撲ファンの多い東北には最後
まで結果が載らない新聞になった。結局、
ナイター興行はこの1場所限りとなった。

前回、専門誌「大相撲」(読売新聞社刊)7
月号では「幕内全力士が考える大相撲再建案」
を特集していることを伝えた。実はもう一つ
力士に質問している。それはナイター興行に
関してである。大相撲不人気時代 力士はナイ
ター興行をどう考えたか。

(この項目続く)

日本史・相撲史をともに興味深い。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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