春日山部屋の部屋閉鎖問題はこれまで述べて
きた(以下クリックして参照)。
引退することになった。12月下旬には川崎で
断髪式とパーティが開催されると、春日山の
事情通から電話があった。断髪は通常大銀杏
でおこなう。幕下以下の力士が大銀杏を結う
5つのケースのうちの1つである。残り4つ
は、土俵の目撃者の愛読者ならご存知だと
思う。十一月場所は引退届けを受理していな
かったため、形式上最後の部屋は追手風部屋、
最後の成績は全休となった。
力士の移籍は微妙な心理が働くようである。
サラリーマンの世界でも上司と相性がいい、
悪いがある。また、上司が変わると評価が
変わることがある。相撲界の師匠の突然の
交代は、師匠の急死によることが多い。
昭和49年トンガ王国から6名が、朝日山(元
二瀬山)部屋に入門してきた。当時は外国籍
の力士は珍しかった時代である。それが6人
も入門してきたから、朝日山部屋はトンガ
部屋といわれたほどであった。彼らは漫画に
もなった。
1年後朝日山(元二瀬山)が急死した。部屋
を継いだのは元若二瀬であった。しかし、
トンガ力士は今度新しい部屋をつくる琉王に
ついていくと言い出した。力士の自由移籍は
認められていない。また、琉王も正式な親方
になっていなかった。結局6人は廃業という
を継いだのは元若二瀬であった。しかし、
トンガ力士は今度新しい部屋をつくる琉王に
ついていくと言い出した。力士の自由移籍は
認められていない。また、琉王も正式な親方
になっていなかった。結局6人は廃業という
最悪の結果になって、騒動は収拾した。
<碧山>
近年珍しかったのは、元久島海の田子ノ浦
部屋である。親方の急死にともない、力士に
春日野部屋にいくか出羽海部屋へいくか選ば
せたのである。碧山は春日野部屋を選んだ。
入門のときだけは師匠を選べる。師匠の急死、
定年、あるいは部屋を譲る場合は、いやおう
なしに師匠は交代する。力士に新しい師匠に
なってよかったと言われるよう指導力・人間
性を磨いていただきたい。
相撲関連の郵便物だしが増えてきた。
興味深いテーマをこれからもお届けます。
マーク2カ所をクリックして支援してください。
よしなに
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑