大相撲

師匠交代のとき

2016年12月6日

春日山部屋の部屋閉鎖問題はこれまで述べて
きた(以下クリックして参照)。
引退することになった。12月下旬には川崎で
断髪式とパーティが開催されると、春日山の
事情通から電話があった。断髪は通常大銀杏
でおこなう。幕下以下の力士が大銀杏を結う
5つのケースのうちの1つである。残り4つ
は、土俵の目撃者の愛読者ならご存知だと
思う。十一月場所は引退届けを受理していな
かったため、形式上最後の部屋は追手風部屋、
最後の成績は全休となった。
150125千秋楽幕内 1126
<水口>
 
力士の移籍は微妙な心理が働くようである。
サラリーマンの世界でも上司と相性がいい、
悪いがある。また、上司が変わると評価が
変わることがある。相撲界の師匠の突然の
交代は、師匠の急死によることが多い。

昭和49年トンガ王国から6名が、朝日山(元
二瀬山)部屋に入門してきた。当時は外国籍
の力士は珍しかった時代である。それが6人
も入門してきたから、朝日山部屋はトンガ
部屋といわれたほどであった。彼らは漫画に
もなった。

1年後朝日山(元二瀬山)が急死した。部屋
を継いだのは元若二瀬であった。しかし、
トンガ力士は今度新しい部屋をつくる琉王に
ついていくと言い出した。力士の自由移籍は
認められていない。また、琉王も正式な親方
になっていなかった。結局6人は廃業という
最悪の結果になって、騒動は収拾した。
160110初日十両 412
<碧山>
 
近年珍しかったのは、元久島海の田子ノ浦
部屋である。親方の急死にともない、力士に
春日野部屋にいくか出羽海部屋へいくか選ば
せたのである。碧山は春日野部屋を選んだ。

入門のときだけは師匠を選べる。師匠の急死、
定年、あるいは部屋を譲る場合は、いやおう
なしに師匠は交代する。力士に新しい師匠に
なってよかったと言われるよう指導力・人間
性を磨いていただきたい。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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