大相撲

かつて日馬富士にあったif

2016年10月4日

白鵬が休場した九月場所の土俵を引き締める
べき存在は、日馬富士である。取りこぼしが
からついに豪栄道のとの差は縮まらず、12勝
3敗の成績に終わった。豪栄道に次ぐ成績で
あり、横綱の責任の12勝を果たした。

日馬富士といえば、大関時代は1ケタ勝ち星
が目立ち、横綱どころではなかった。それが、
連続全勝優勝という予想もできない成績で
横綱に昇進した。これは年6場所制では、
貴乃花以来2例目のことである。
名古屋A
<平成24年七月場所 大関横綱による全勝決戦を制した日馬富士>
 
ところが日馬富士は新横綱の場所で一転9勝
6敗と散々な成績に終わった。これに対する
横綱審議委員会の鼻息は荒かった。横綱に
するのが早かった。来場所も同様なら引退
勧告するというのだ。確かにそういわれても
しょうがない成績である。しかし、横綱に推薦
したのは横綱審議委員会である。自分の先見
性のなさをまず恥じるべきだろう。

日馬富士の横綱昇進直後、こうした経緯が
あったことを覚えているだろうか。ここでいい
たいことは、横綱を推薦した横綱審議委員会と
決定した相撲協会の責任の所在である。これ
まで弱い横綱・物足りない横綱を誕生させても、
反省の弁を聞いたことがない。日馬富士に引退
勧告をするにいたっては、開いた口がふさがら
なかった。
秋A
<全勝日馬富士1敗白鵬の千秋楽決戦 日馬富士が連続全勝優勝を達成>
 
反省がないから同じ過ちを繰り返す。年6
場所時代の今、2場所連続優勝が絶対視され
すぎている。品格力量抜群の一文はどこへ
いったのだろうか。これまで2場所連続優勝
しても、弱い横綱・物足りない横綱はいたでは
ないか。歴史に学ばなければ同じ轍を踏む
のは当然である。2場所連続優勝を金科玉条
のごとく扱っている限り、横綱審議委員会も
相撲協会も横綱の権威は維持できない。

相撲仲間への連絡が多かった日でした。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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