殊勲力士140人目、敢闘力士207人目、技能力士125人目
と、敢闘賞が突出している。これまで1場所複数受賞し
た人数は敢闘賞75人と殊勲賞23人、技能賞17人と比較し
ても多い。まして、殊勲賞・技能賞は該当者なしが多い。
さらに、技能賞は特定の力士が受賞する傾向があり、殊
勲・敢闘賞と受賞何人目の数値で、差がつく傾向がある
ことを加えると、何年後かには受賞何人目は敢闘賞と技
能賞は100人の差がつく恐れがある。
三賞受賞で力士が達成したいのは殊勲賞・敢闘賞・技能
賞すべてを受賞することであろう。嘉風は九月場所、殊勲
賞と技能賞を受賞して達成した。これは、今まで66人いる。
賞と技能賞を受賞して達成した。これは、今まで66人いる。
それが以下である。
年七月場所の大受である。このときはほかの候補が弱く、
殊勲・敢闘・技能すべて大受にいった。大受は殊勲賞は
4度目、技能賞は6度目だったが、敢闘賞は初受賞だっ
た(77人目)。
こんなことは2度とないと思っていたら、翌場所の九月
場所、新入幕の大錦が達成した。新入幕で大関貴ノ花、
横綱琴桜をたおしたため、流れが大錦に傾き、殊勲(60
人目)・敢闘(78人目)・技能(47人目)すべて受賞と
なった。ただし、大錦にとってこれが最初で最後の三賞
となった。
貴乃花がまだ貴花田といっていた平成4年一月場所、前
頭2枚目で14勝1敗で初優勝した。このときも三賞すべ
てを受賞した。ただし、単独ではなく13勝で次点の曙が
殊勲賞、敢闘賞を受賞。若花田が技能賞を受賞した。当
時爆発的人気の若貴の貴花田が優勝するのではというム
ードのなかの大盤振る舞いとなった。当時元佐田の山の
出羽海さんが「一人にこんなにやらなくても」と語って
いた。
なお、関脇以下で優勝しながら、三賞がもらえなかった
力士が2人いる。朝汐(優勝2回目)と大鵬である。当
時は大物ぶりから優勝して当然という見方があった。
時は大物ぶりから優勝して当然という見方があった。
三賞すべてを受賞した66人のうち、優勝して四冠を達成
した力士は30人いる(表の黄色の力士)。そのうち横綱
は12人、大関は14人である。
最近の三賞は実質二賞、場合によっては一賞の場合があ
る。殊勲賞は優勝者を倒した力士という傾向がある。貴
ノ花は引退した大鵬(3勝3敗)を倒して殊勲賞を受賞
した。重量級時代はパワー相撲全盛で、大味な相撲にな
りがちである。栃錦が相手の投げが決まってから3つの
技をくりだした恐るべき相撲への執念は遠い過去になり
つつある。三賞は難しい時代へはいっている。
ノ花は引退した大鵬(3勝3敗)を倒して殊勲賞を受賞
した。重量級時代はパワー相撲全盛で、大味な相撲にな
りがちである。栃錦が相手の投げが決まってから3つの
技をくりだした恐るべき相撲への執念は遠い過去になり
つつある。三賞は難しい時代へはいっている。
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