大相撲

知られざる(?)白鵬

2015年10月21日

これまで白鵬の優勝回数、連勝、横綱通算勝利数、幕内
通算勝利数、入門以来の通算勝利数、休場率などに触れ
てきた。こうした偉大な記録は目につきやすいし、認識
されやすい。そこで、今回は意外と知られていない(?)
白鵬について触れてみたい。

★デビュー戦負け越し
白鵬は序ノ口でいきなり3勝4敗と負け越した。最初か
らつまづいたわけである。といって、その後の出世をみ
るとけして弱かったとはいいがたい。ちなみに横綱がデ
ビュー戦で負け越したのは、昭和以降の横綱でいうと、
常ノ花、吉葉山、初代若乃花、北の富士と4人いる。北
の富士はいきなり序二段からスタートしたので、ほかと
は事情が異なるかもしれない。

★優勝、殊勲・敢闘・技能賞すべて受賞した横綱
白鵬が最初に受賞したのは2004年五月場所、新入幕の
ときの敢闘賞である。その年の十一月場所優勝した横綱
朝青龍を倒して殊勲賞を受賞。その翌場所の2005年一
月場所技能賞を受賞した。初優勝は2006年五月場所、
雅山との優勝決定戦の末達成した。

優勝、殊勲・敢闘・技能賞すべて受賞した横綱は、初代
若乃花、柏戸、佐田の山、北の富士、三重ノ海、千代の
富士、北勝海、貴乃花、武蔵丸と白鵬を含め、10人いる。
栃錦は敢闘賞がなく、大鵬は殊勲賞がない。北の湖・朝
青龍は技能賞がない。
080525千秋楽幕内 914朝青龍・白鵬一触即発
<朝青龍と睨み合う白鵬>
 
★朝青龍と一触即発  
2008年五月場所千秋楽、事件は起こった。優勝は琴欧洲
に決定した結びの一番は朝青龍対白鵬戦。朝青龍が白鵬
をはたき込んで勝負あったと思われたが、朝青龍にダメ
を押した。そのため、白鵬が憮然として肩をぶつけた。
両者土俵の真ん中で睨み合いとなった。横綱にあるまじ
き行為だった。

★土俵入りを間違えた
2010年一月場所初日、白鵬の横綱の土俵入りが、せり上
がりという一番の見せ場をやることなく、土俵入りを終
えてしまった。支度部屋で記者にその点を指摘されると
「気がついた?」と一言。白鵬、珍事の土俵入りも相撲
は鶴竜を圧倒して万全だった。
白鵬まちがいA
<この後両手を広げるはずが   あれれ?          左四股になってしまった>

★対戦成績で負け越した相手がいる
白鵬と対戦して、負け越した相手がいるのか、と思われ
がちである。朝青龍には本割で13勝12敗だが、優勝決定
戦を含めると、14勝15敗となる。だが、それとは別に白
鵬が入幕した場所に金開山に負け、翌場所豊桜に負けて
いる。対戦はこの一番のみ。いわば勝ち逃げ(?)のカ
タチになっている。勝ち越しているが、若の里には初顔
から6連敗している。

大鵬が入幕2場所目、3場所目に福田山に負け、対戦成
績2敗で終わっている。そのうちの一番は微妙だったが、
星取り表では大鵬は福田山に勝てないまま終わっている。

★短期限定、黄金のまわし  
黄金のまわしで活躍し、優勝14回を達成した輪島。その
輪島に並ぶ14回目の優勝を決めた白鵬。2010年五月場所
の14日目と千秋楽は輪島にあやかり、黄金のまわしで登
場した。優勝を決めたあとも気を抜かず、全勝優勝を達
成した。
1カラー写真 白鵬黄金色のまわし
<白鵬、黄金のまわし>
 
★よその一門の親方が形式師匠に
元金親の熊ヶ谷親方がマネージャー暴行事件で逮捕され
たとき、前の白鵬の師匠と紹介したメディアがあった。
元金親は白鵬の本当の師匠ではない。なぜそんなことに
なってしまったか。このことは以前に書いたが、メディ
アの伝え方は誤解を招くので改めて取り上げた。詳細は
以下をクリックしてご覧いただきたい。

★各クラスからの陥落が1度もない?白鵬惜しくもならず
序ノ口←序二段←三段目←幕下←十両←幕内←小結←関
脇←大関のいずれにも降格したことが1度もなければす
ごいことである。負け越しても各クラス内に留まった場
合は有効である(ただし、三役からの転落は陥落扱いと
する)。こうした例は昭和の横綱以降では常ノ花、武蔵
山、羽黒山、安芸ノ海、東富士、鏡里、吉葉山、大鵬、
柏戸、佐田の山、輪島(幕下付出し)、武蔵丸と12人い
る。白鵬はどうか。惜しくも、関脇で途中休場し、関脇
から平幕に陥落している。痛恨の途中休場だった。

知られざる白鵬、あなたも見つけてみてはいかが。 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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