七月場所、日馬富士は途中休場、休場明けの鶴竜は好調
だったが白鵬に及ばなかった。これで両者は自己ワース
ト記録をそれぞれ更新した。その自己ワースト記録とは
何か。鶴竜は横綱初優勝なしが8場所になった。日馬富
士は2013年十一月場所の優勝以来優勝なしが10場所にな
った。なお、横綱初優勝の場所数と横綱優勝間隔記録に
関しては次をクリックして参照していただきたい。
鶴竜の横綱に昇進後の成績及び日馬富士が最後の優勝後
の成績が下記である。
両横綱とも優勝から遠ざかっている。これだけ遠ざかる
と本来なら批判が出てもおかしくないが、そういう声は
それほど聞かない。これはけしていいことではない。な
お、批判というのはよくなってもらいたいから言うので
あって批難とは区別されるべきものである。
お、批判というのはよくなってもらいたいから言うので
あって批難とは区別されるべきものである。
北の富士は4場所連続11勝4敗をあげたとき、イレブン
横綱と揶揄された。奮起した北の富士は初めて15戦全勝
優勝を達成した。燃える要素があると強い北の富士が巡
って来たときだった。
日馬富士が突き刺さるような立ち合いをしたら、優勝が
近くなる。大関時代連続全勝優勝したときはまさにそう
した相撲であった。このとき白鵬と全勝同士で千秋楽決
戦をしている。日馬富士はこれを制して優勝している。
日馬富士優勝の道は立ち合いしだいである。
鶴竜は先場所、休場後とは思えないほど好調な出だしだ
った。引きや回り込む相撲はなく、安定性していた。こ
の相撲を取り続けることである。だが、それだけでは優
勝はできない。鶴竜の場合、白鵬戦がほとんど勝てない。
優勝するためには白鵬を倒すことである。先場所の白鵬
戦は熱戦ではあったが、白鵬の手のひらの上という感が
なきにしもあらずであった。鶴竜の優勝のカギは白鵬戦
の勝利である。
なきにしもあらずであった。鶴竜の優勝のカギは白鵬戦
の勝利である。
<2014年三月場所14日目、白鵬を倒した
ことが優勝につながった鶴竜>
日馬富士は白鵬より年上、鶴竜は同い年である。同時代
人である。いつまでもチャンスがあるわけではない。横
綱としての存在価値を今こそ発揮すべきときである。
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”土俵の目撃者”
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