大相撲

白鵬優勝物語 2回目の優勝

2014年12月9日

2006(平成18)年五月場所、白鵬が新大関として初優勝
したときは双葉山、照国以来の大関2場所で横綱昇進か、
と騒がれた。翌場所の七月場所は白鵬にとって綱取り場所
だった。しかし、白鵬は初日朝赤龍、8日目に先場所
不覚をとった雅山にまたしても負けた。だが、琴欧洲・
千代大海・魁皇の大関陣を突破して千秋楽を迎えた。
幕内後半 264新加工
<七月場所千秋楽白鵬対朝青竜>
 
横綱朝青龍は14日間全勝できていて快調だった。2敗差が
あったため、優勝は朝青龍に決定していた。白鵬が朝青龍
を倒して13勝をあげれば横綱昇進かという点に焦点は
移っていた。ところが相撲協会はたとえ白鵬が朝青龍に
勝っても横綱昇進はないと発表した。理由は朝青龍優勝の
流れの独占を許したというものであった。NHK解説者の
舞の海さんは「だったら、朝青龍と白鵬を14日目にあてる
べきだ」と発言している。
幕内後半 270
<七月場所千秋楽朝青龍対白鵬戦後に座布団が舞った>
 
横綱朝青龍と大関白鵬の対戦は白鵬が勝って13勝をあげ、
次の場所へ綱取りをつなげた。しかし、ここから白鵬の
苦悩が始まった。8勝、全休、10勝と優勝争いさえでき
ない場所が続いた。

チャンスが訪れたのは2007(平成19)年の三月場所であった。
横綱朝青龍、白鵬とも千秋楽を勝ち、13勝2敗同士の
優勝決定戦となった。番付からも、本割で朝青龍が白鵬に
勝っている点からも朝青龍有利であった。だが勝負は意外
な結末を迎えた。立ち合い白鵬がはたくと朝青龍はこらえ
たが指先が土俵についたのである。一瞬のできごとで
あった。どんな漫画家も小説家もこんな展開は絶対に
作品にもり込まむまい。
幕内 443
<三月場所優勝決定戦朝青龍対白鵬(手前)>
 
かくして白鵬は2度目の優勝を久々に成し遂げたのである。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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