大相撲

白鵬優勝物語 初優勝編

2014年12月1日

大鵬が出現するまでは最高優勝回数は双葉山の12回で
あった。しかも、双葉山が活躍したのは年2場所時代の
ことである。6場所時代の申し子大鵬が破竹の勢いで
優勝回数を積み重ねて12回は軽く越え(当然と言えば当然
だが)、どこまでいくかと思わせた。

大鵬は最終的に32回の優勝を達成した。その大鵬の優勝
回数に白鵬がついに並んだ。その白鵬が人生最大の喜び
と当時語っていたのが初優勝だった。それは2006年五月
場所のことである。
06夏千秋楽幕前半弱後 250天皇杯白鵬
<白鵬初優勝なる>
 
この場所は前場所十両で全勝優勝した把瑠都が新入幕を
はたした。のみならず、破竹の勢いで旋風を巻き起こして
いた。この場所第一人者の横綱朝青龍は3日目から途中
休場していた。大関は新大関の白鵬を入れて5人いたが、
白鵬と優勝を争ったのは大関陣ではなく関脇で元大関の
雅山だった。
06夏八日目十両三番前-幕内 168●嘉風対把瑠都○六切り
<嘉風対把瑠都>
 
雅山は大関を陥落して約4年半たっていた。大きな期待を
される存在ではなくなっていた。しかしこの場所だけは
違った。白鵬対雅山戦は早々と5日目に実現したが、
この時点では優勝を争っている意識は両力士にはまだない。
この一番は雅山が白鵬を倒した。雅山が白鵬に勝った翌日、
思わぬ伏兵旭天鵬に負け、ここから両力士1敗で併走して
いく。両力士白星を重ね、終盤を迎えた。

新入幕で13日目まで2敗できた把瑠都が14日目雅山、
千秋楽白鵬にあた優勝のカギを握ることになった。場合に
よっては自分が優勝戦線に躍り出ることも可能である。
しかし、優勝へ突っ走る雅山・白鵬の勢いは把瑠都を
もってしても止められず、両力士14勝1敗で優勝決定戦
となった。

組めば白鵬、離れて雅山といわれるなか大歓声の中、
激突の瞬間が来た。雅山が突き立てるなか、白鵬こらえて
まわしに手がかかり四つに持ち込んだ。土俵際の逆転を
くわないよう慎重にかまえ、ここぞとばかり正面に寄り
切り、念願の初優勝を達成した。白鵬32回優勝の最初の
一歩であった。
06夏千秋楽幕前半弱後 234○白鵬対雅山●
 <雅山と白鵬の優勝決定戦>

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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