★時代を築いた横綱に準じる横綱
これに対し時代を築いたに準じるのが羽黒山、東富士、
玉の海、輪島、曙の5力士である。このなかから一人
選ぶとしたらやはり羽黒山である。
★相撲どころでなかった羽黒山の不運
羽黒山は双葉山の弟弟子で双葉山が現役のときは陰に
隠れていた。同じ立浪部屋で対戦することもなかった。
双葉山と時代が重なる戦前・戦中は13勝以上5度も優勝は
わずか1度であった。
羽黒山が台頭したのは双葉山の引退後で戦後だが、時代は
混乱期であった。日本の古いものはすべてだめという風潮
と両国国技館を進駐軍に摂取され、本場所開催に苦労して
いた時代である。その中で4連覇を達成したころが最も
華やかな時代である。
取り口は堅実無比の手堅い相撲に終始した。4連覇後
2度にわたるアキレス腱切断に襲われ、3場所連続休場。
出場しても優勝できなくなった。1952(昭和27)年最後の
7回目の優勝を全勝で飾った。前回の優勝から実に5年も
たっていた。横綱在位は実に12年間にもおよんだ。
★二枚腰玉の海
個人的好みからいえば玉の海をあげたい。玉の海は双葉山
に近づける数少ない力士だった。それは腰で取る相撲で
あり、胸をあわせる四つ身で相撲に大きさを感じさせる
相撲であった。1970(昭和45)年九月場所から1971(昭和
46)年七月場所までの1年間は84勝6敗と抜群の安定性で
あった。
しかし玉の海のすごさを見たのは最後の場所となった
1971(昭和46)年九月場所であった。この場所の玉の海は
虫垂炎を薬で散らし、体調は思わしくなかった。この場所、
打倒玉の海に燃える貴ノ花は出足鋭くもろ差しになり
寄り立てた。こらえる玉の海に外掛けを掛け、玉の海の
腰がくずれた。
だが、次の瞬間もうひとつの腰で残し、両腕をかかえ、
貴ノ花をごぼうぬきにして土俵の外にかかえ出した。
二枚腰が出た瞬間であった。二枚腰というのは言葉で
知っていたが、どこかイメージしきれない感覚が残って
いた。しかし、この一番で具体的に理解できた。急死
しなければどこまで双葉山の域に到達できたか。惜しい
横綱であった。
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よしなに
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