大相撲

昭和・平成の横綱ベスト10 2

2014年11月18日

★時代を築いた横綱に準じる横綱
これに対し時代を築いたに準じるのが羽黒山、東富士、
玉の海、輪島、曙の5力士である。このなかから一人
選ぶとしたらやはり羽黒山である。

★相撲どころでなかった羽黒山の不運
羽黒山は双葉山の弟弟子で双葉山が現役のときは陰に
隠れていた。同じ立浪部屋で対戦することもなかった。
双葉山と時代が重なる戦前・戦中は13勝以上5度も優勝は
わずか1度であった。

羽黒山が台頭したのは双葉山の引退後で戦後だが、時代は
混乱期であった。日本の古いものはすべてだめという風潮
と両国国技館を進駐軍に摂取され、本場所開催に苦労して
いた時代である。その中で4連覇を達成したころが最も
華やかな時代である。
羽黒山
<羽黒山>
 
取り口は堅実無比の手堅い相撲に終始した。4連覇後
2度にわたるアキレス腱切断に襲われ、3場所連続休場。
出場しても優勝できなくなった。1952(昭和27)年最後の
7回目の優勝を全勝で飾った。前回の優勝から実に5年も
たっていた。横綱在位は実に12年間にもおよんだ。

★二枚腰玉の海
個人的好みからいえば玉の海をあげたい。玉の海は双葉山
に近づける数少ない力士だった。それは腰で取る相撲で
あり、胸をあわせる四つ身で相撲に大きさを感じさせる
相撲であった。1970(昭和45)年九月場所から1971(昭和
46)年七月場所までの1年間は84勝6敗と抜群の安定性で
あった。
横綱玉の海土俵入り
<玉の海>

しかし玉の海のすごさを見たのは最後の場所となった
1971(昭和46)年九月場所であった。この場所の玉の海は
虫垂炎を薬で散らし、体調は思わしくなかった。この場所、
打倒玉の海に燃える貴ノ花は出足鋭くもろ差しになり
寄り立てた。こらえる玉の海に外掛けを掛け、玉の海の
腰がくずれた。

だが、次の瞬間もうひとつの腰で残し、両腕をかかえ、
貴ノ花をごぼうぬきにして土俵の外にかかえ出した。
二枚腰が出た瞬間であった。二枚腰というのは言葉で
知っていたが、どこかイメージしきれない感覚が残って
いた。しかし、この一番で具体的に理解できた。急死
しなければどこまで双葉山の域に到達できたか。惜しい
横綱であった。

興味深いテーマをこれからもお届けます。
マーク2カ所をクリックして支援してください。

よしなに
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村 

相撲 ブログランキングへ 

↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

 

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

【ブログランキング】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック


【日本ブログ村】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村
  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

-大相撲

Copyright© 土俵の目撃者(毎日更新) , 2020 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.