白鵬31回の優勝は大鵬も千代の富士も味わったことの
ない苦渋に満ちた優勝があったことをご存知だろうか。
ことの始まりは2010年五月場所中に発覚した野球賭博で
ある。それが暴力団の資金源になったこと、暴力団が
向こう正面溜まり席で観戦してテレビを通じて刑務所の
ボスに自分たちの姿を発信していたことなど不祥事が
明るみになった。
野球賭博に関与した力士は解雇、出場停止処分を受けた。
そんな事件を経て、開催が危ぶまれた七月場所はなんとか
実現したが、大相撲中継はなく、ハイライトのみであった。
会場の放送席のスペースは実況放送がなくても以前と
変わらず存在した。電光掲示板では休場力士の岩木山と
謹慎力士の名前が混在していた。きちんと区別しないと
誤解を招きかねない状態であった。
協会挨拶は村山理事長代行が土俵にあがった。自分の言葉で
お詫びとこれからの出直しを語った。毎回、決まり文句の挨拶
よりはるかによかった。
よりはるかによかった。
<村山理事長代行が協会ご挨拶>
こうした状況の場所で白鵬が15度目の優勝を達成した。
しかし、事件のあおりを受け、表彰は優勝旗のみであった。
表彰なき優勝。こんなさびしい、むなしい優勝がかつて
あっただろうか。本来優勝は栄光に彩られ、各表彰・
賞金・商品とともにその名を永遠に歴史に刻む栄誉に
包まれるものであるはずだ。白鵬は「この国の横綱として、
力士の代表として、天皇賜杯はいただけたらなとつくづく
思う」とつらい心情を吐露している。やりがい、充実感、
達成感なき優勝になってしまった。
土俵上では優勝旗のみを受け取る白鵬のさびしげな姿が
印象的だった。表彰なき優勝を永遠に忘れないとともに
知らない方にも伝えたい。
知らない方にも伝えたい。