逸ノ城の注目度は半端でない。番付発表でスポーツ紙の
1面あるいは裏1面を飾るのだから並の関脇ではない。
しかし、強豪力士は今度はそうはいくかいとばかりに
対抗策を練ってくる。特に先場所負けた横綱鶴竜、大関
稀勢の里、豪栄道はリベンジに燃えているに違いない。
これまでスーパー新入幕力士は2場所目をどう戦ってきた
のか。上段が新入幕成績、下段が入幕2場所目である。
なお、千代ノ山までは東西制である。
1若左倉
1905(明治38)年 夏場所 前頭11 6勝2敗 横綱大砲に勝利→
1906(明治39)年 春場所 前頭3 2勝5敗2分
若左倉の入幕2場所目は方屋が大砲と一緒のため対戦は
なかった。当たっておかしくない地位だが、横綱常陸山
との対戦はなく、大関荒岩は途中休場のため、これも
対戦はなかった。結局関脇以下の対戦のみで2勝5敗3分
で負け越した。
2両国勇治郎
1914(大正3)年 夏場所 前頭14 8勝1休 優勝→
1915(大正4)年 春場所 前頭3 7勝2敗1分
両国の入幕2場所目は対戦相手となる横綱太刀山は全休、
横綱梅ヶ谷は途中休場、大関伊勢ノ浜は途中休場・途中
出場だが、対戦はなかった。大関鳳と大蛇潟に敗れたが、
関脇玉手山に勝って好成績を残した。次の場所は関脇に
昇進した。
3大潮又吉
1917(大正6)年夏場所 前頭13 8勝1預 優勝同点→
1918(大正7)年春場所 前頭2 2勝1敗1預6休
大潮は出場わずか4日間であった。その中に大関栃木山
との対戦があるが敗れている。関脇の両国には勝っている。
4双見山
1941(昭和16)年夏場所 前頭11 8勝7敗 横綱男女ノ川に勝利→
1942(昭和17)年春場所 前頭4 2勝6敗7休
双見山は初日から休場。途中出場したもののわずか2勝で
惨敗に終わった。
5千代ノ山
1945(昭和20)年秋場所 前頭10 10勝 優勝同点→
1946(昭和21)年秋場所 前頭筆頭10勝3敗
千代ノ山は東西制とはいえ、初の上位戦で好成績を残した。
3敗は横綱羽黒山、関脇不動岩、輝昇に負けた。しかし、
大関名寄岩、大関佐賀ノ花、小結神風から勝利している。
次の場所は関脇に昇進している。
6大鵬
1960(昭和35)年一月場所 前頭13 12勝3敗 初日から11連勝→
同年 三月場所 前頭4 7勝8敗
大鵬及び北の富士は系統別総当たり制である。大鵬初の
上位戦は1点の負け越しに終わった。横綱栃錦との対戦は
このときの1番のみで終わった。栃錦は本格的な相撲で
好調だったが、翌場所初日・二日目と連敗するとあっさり
引退してしまった。大鵬は大関若羽黒、関脇安念山に勝った
ものの横綱朝汐ほか三役陣に負けた。なぜかこの場所関脇
柏戸との対戦はなかった。
7北の富士
1964(昭和39)年一月場所 前頭10 13勝2敗→
同年 三月場所 小結 4勝11敗
小結に昇進したものの横綱大鵬・柏戸、大関北葉山・
豊山戦は全敗。5日目から10連敗と初の上位戦はまったく
歯がたたない結果で終わった。2場所後の七月場所に
関脇に昇進したがこのときは9勝6敗と見事勝ち越した。
8陸奥嵐
1967(昭和42)年三月場所 前頭14 13勝2敗→
同年 五月場所 前頭4 7勝8敗
陸奥嵐からは部屋別総当たり制である。初日から柏戸・
佐田の山・大鵬の3横綱と対戦するも連戦連敗に終わった。
しかし 大関北の富士から勝利し、最終的に7勝と1点の
負け越しという結果にもっていった。
9大錦
1973(昭和48)年九月場所 前頭11 横綱琴桜に勝利→
同年 十一月場所 小結 3勝12敗
新入幕の勢いはまるでなく、上位の厚い壁に当たり大敗で
終わった。大錦はこれ以後再び三役に復帰することもなく、
横綱の四股名も名前負けであった。
逸ノ城は今後どういう道を辿るのか。それは逸ノ城が
先人から何を学び、どう生かすか、彼自身の姿勢しだい
である。