大相撲

■秋10日目 稀勢の里は自己改革が必要

2014年9月24日

稀勢の里のこの日の対戦相手はこれまで2勝している
宝富士である。立ち合いの奇襲や変化など特別警戒
する力士ではない。事実、両者左四つ上手が取れない
状態から上手の探り合い。稀勢の里は右からおっつける
わけでもなし、下手から揺さぶりをかけるでもない。

相撲は負けまいと退嬰的になることが返って負けを呼ぶ
ことになる。稀勢の里の棒立ちでの技のなさでは宝富士
は脅威に感じない。先に上手をとったのは宝富士だった。
しかも、ここぞとばかりにすぐまわしを引き付けて寄り
立てた。稀勢の里はこらえられず後退。宝富士は一気に
稀勢の里を土俵へ転落させた。稀勢の里は極めて無策で
あった。
140923十日目幕内 1117
稀勢の里はこれで3敗目、優勝は絶望的である。稀勢の
里に優勝を求めることは八百屋で魚を求めるようなもの
なのだろうか。それとここ一番に負ける精神的弱さを克服
しない限り何も変わらない。稀勢の里はこれまで大関と
して12勝以上の成績をあげたことは3度しかない。白鵬と
優勝を直接争った2場所は2度とも負けている。
140923十日目幕内 1119
大横綱双葉山は常勝から一転負けが込んで休場したとき
「信念の歯車がくるった」と言って九州の山にこもり、
滝にうたれて再起した。相撲の取り口・精神面、稀勢の里
は自己改革するくらいの変貌をとげないと優勝にたどり
つかない。
140923十日目幕内 1121

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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