◆三賞獲得14回
鶴ヶ嶺 殊2敢2技10
鶴ヶ嶺は非常に息の長い力士であった。24歳で入幕し38歳で引退し
た。その中でこつこつ三賞を積み重ねてきた。はでな受賞歴はない
が、初めて三賞受賞数14回に到達した力士であった。
入幕は昭和28年春場所であった。当時は年4場所制であった。初、
春、夏、秋であった。この年1度十両に落ちている。また、入幕か
ら3年は三賞に無縁だった。
最初の三賞は昭和31年初場所だった。技能賞であった。この場所横
綱鏡里と14勝1敗同士で優勝決定戦をおこない敗退している。ただ、
横綱・大関戦はなかった。幕内中位以下の大勝ち力士が横綱・大関
と対戦させる規定は昭和46年七月場所から実施されている。
技能賞は通算10回獲得するほど鶴ヶ嶺は技能派であった。もろ差し
の名人であった。右の巻きかえがうまく、もろ差しになると肩をは
ってゆさぶる寄りであった。翌場所の春場所も技能賞を受賞した。
初の連続受賞となった。
年5場所になった昭和32年は三賞の獲得はなかった。昭和33年から
年6場所制になった。この年初めて殊勲賞を受賞した。優勝した横
綱栃錦に唯一の黒橋をつけた。また横綱若乃花にも勝利した。
昭和34年、殊勲賞と技能賞に輝いた。殊勲賞は横綱栃錦に勝ったこ
とが評価された。昭和35年、三賞はなく、昭和36年は技能賞を2回
獲得した。昭和37年も三賞ゼロだが、昭和38年から4年連続三賞に
輝いている。技能賞-技能賞-技能賞-技能賞-敢闘賞・技能賞-
敢闘賞と続いた。昭和41年七月場所は初めて三賞をダブル受賞した。
昭和41年十一月場所の敢闘賞が最後の受賞になった。37歳のときで
あった。翌年の七月場所限りで引退した。千秋楽は不戦敗であった。
(この項目続く)