十一月場所の番付が発表された。
大の里が新大関として位置した。ただし、8勝7敗大関の琴櫻・豊
昇龍より下位になった。こうしたやり方は不合理であり、もうやめ
たほうがいい。番付は成績本位にするのが本当であった時代があっ
た。しかも現行よりはるかに長い時期であった。その一例が以下で
ある。
昭和45年一月場所
大鵬 全休 横綱
北の富士13勝 大関 玉乃島13勝
翌場所番付
北の富士 横綱 玉の海(改名)
大鵬 張出
先場所は横綱全休、2大関は8勝7敗で上位は勝ち越し者が多かっ
た。そのため、関脇・小結はどん詰まりであった。2枚目9勝の王
鵬が筆頭止まりになった。大の里が大関昇進で空いた関脇には小結
で8勝した大栄翔が上がった。小結は上位で2ケタ勝った若元春、
正代がおさまった。
幕内中位、下位は比較的成績に応じた番付になっている。例外は8
勝7敗で2枚半上がった狼雅と4勝11敗で5枚半下がって幕内に留
まった武将山である。新入幕はウクライナの獅司と朝紅龍である。
また、三月場所新入幕優勝した尊富士が幕内に戻ってきた。
十両では嘉陽が3枚目に上がり、幕内を狙える位置まできた。元幕
内は28人中16人いる。過半数を超えている。多くなると幕内の二軍
みたいなイメージが強くなる。新十両はウクライナの安青錦、琴勝
峰の実弟琴栄峰、元大碇の息子若碇である。楽しみな力士がそろっ
た。
朝乃山が幕下東筆頭まで番付を下げた。また先場所幕下16枚目で7
勝優勝した羽出山(本名)が幕下西筆頭に位置した。幕下15枚目以
内の7勝なら文句なく十両に上がれるのに1枚差に泣いた。2枚目
に宮城、4枚目に小原が上がってきた。ともに十両を狙える。東大
出身の須山は幕下入りし、34枚目まで番付を上げてきた。また炎鵬
は三段目56枚目まで戻してきた。
十一月場所は11月10日に始まる。