大関若乃花(初代)が無類の強さを発揮していたと
きの話である。明日は鏡里と対戦することになった。
ある記者が鏡里に取材した。「明日は若乃花ですが
いかかがですか」と訊いた。ぶしつけな質問に周囲
は、はっとした。しかし、鏡里は「こっちは横綱だ
よ」と柔軟にたしなめた。
実はその鏡里の横綱昇進がおおいにもめた。もめた
横綱昇進というと初代若乃花を思いうかべるかもし
れない。若乃花の場合はあげるべきか否かでもめた。
しかし、鏡里の場合はまったく違うケースだった。
昭和28年初場所、4横綱は以下の成績だった。
千代ノ山4勝4敗7休み
東富士 2勝5敗8休
照国 3敗12休
羽黒山 9勝6敗
4人いて全員不振だった。
優勝は大関鏡里で14勝1敗だった。これが初優勝だ
った。4横綱が不成績状態だったから、協会は横綱
審議委員会に諮問することなく、番付編成会議で横
綱推挙に踏み切ってしまった。横綱の中にはベテラ
ンがいたため、協会はあせっていた。この暴挙に当
然批批判が噴出した。
無視された横綱審議委員会は面白くなく、鏡里の横
綱昇進に同意しなかった。元笠置山の秀ノ山理事が
個々に承諾を求めたが了承を得られなかった。「個
人的に賛否はいえない。審議会を開いたうえで回答
したい」と答えた。話がこじれたことによって2日
間も正式決定ができなかった。
横綱審議委員会は時期尚早を含め賛否両論だったが、
鏡里の横綱昇進を認める結果となった。5横綱とな
るところだが、照國が引退した。協会の勇み足が生
んだ横綱が鏡里であった。これを機会に番付発表前
に横綱審議委員会に諮り、答申を得てから横綱を決
めることがルール化した。