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最後の優勝から横綱引退までの場所数

横綱は力が衰えても地位が降格することはない。残
された道は引退しかない。そこで横綱は最後の優勝
から横綱引退まで何場所で引退したか調査してみた。

横綱は実質地位化した常陸山以降の東京横綱とした。
大阪横綱宮城山は東西合併以降の成績を対象とした。
優勝制度は大正15年からだが、それ以前は幕内最高
成績とした。それが以下である。

朝青龍は優勝した場所中、一般人(知り合い)への
暴行が発覚した。そのため形は自主引退だが実際は
辞めさせられた。それが最後の優勝から横綱引退ま
での場所数0場所となったわけである。白鵬の63連
勝は朝青龍の引退とともに始まった。

<朝青竜の引退相撲>

日馬富士も貴ノ岩への暴行が発覚したことによる突
然の引退であった。もっとも日馬富士は11勝で優勝
というより単なる1位であった。引退前の日馬富士
の11勝1位の場所は、彼のよさはみじんもなかった。

大錦は力が衰えたわけでなく、三河島事件の責任を
とって引退した。三河島事件はこれまで土俵の目撃
者で触れてきたので検索で目を通していただければ
幸いである。栃木山は横綱は追いつめられて引退し
てはいけない、という美学から引退した。

玉の海は現役死亡によるものである。小坂秀二氏は
言う。白布の下の玉の海の顔は、あのいつもの明る
い玉の海の顔ではなかった。また、いつもの無欲な
玉の海の顔でもなかった。私がはじめて見る、玉の
海の違った顔であった。それは、言うならば”無念
の顔”であった。”心残りの顔”であった。その顔
を見て、私はまた玉の海の悲運に泣いた。

<玉の海>

佐田の山は連続優勝後であったから驚いた。義父で
理事長であった元出羽ノ花の出羽海に帝王学を学ぶ
ためといわれた。曙の引退は師匠元高見山の東関と
の不仲といわれている。

横綱優勝がない男女ノ川・吉葉山・武蔵山は当然な
がら大関時代あるいは小結時代の優勝だから数字が
悪いのは当然である。双羽黒はついに幕内優勝がな
かった。ガチンコ大乃国は横綱という地位に苦しん
だ。その結果数字を悪くしている。最後は師匠放駒
(元魁傑)が決断をくだした。

<大乃国>

照ノ富士は現役だからここには登場しない。果たし
てどんな結果を残すのか。一人横綱だけにまだまだ
ベストを尽くして相撲を取っていただきたい。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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