大相撲

最後の優勝から横綱引退までの場所数

2023年4月29日

横綱は力が衰えても地位が降格することはない。残
された道は引退しかない。そこで横綱は最後の優勝
から横綱引退まで何場所で引退したか調査してみた。

横綱は実質地位化した常陸山以降の東京横綱とした。
大阪横綱宮城山は東西合併以降の成績を対象とした。
優勝制度は大正15年からだが、それ以前は幕内最高
成績とした。それが以下である。

朝青龍は優勝した場所中、一般人(知り合い)への
暴行が発覚した。そのため形は自主引退だが実際は
辞めさせられた。それが最後の優勝から横綱引退ま
での場所数0場所となったわけである。白鵬の63連
勝は朝青龍の引退とともに始まった。

<朝青竜の引退相撲>

日馬富士も貴ノ岩への暴行が発覚したことによる突
然の引退であった。もっとも日馬富士は11勝で優勝
というより単なる1位であった。引退前の日馬富士
の11勝1位の場所は、彼のよさはみじんもなかった。

大錦は力が衰えたわけでなく、三河島事件の責任を
とって引退した。三河島事件はこれまで土俵の目撃
者で触れてきたので検索で目を通していただければ
幸いである。栃木山は横綱は追いつめられて引退し
てはいけない、という美学から引退した。

玉の海は現役死亡によるものである。小坂秀二氏は
言う。白布の下の玉の海の顔は、あのいつもの明る
い玉の海の顔ではなかった。また、いつもの無欲な
玉の海の顔でもなかった。私がはじめて見る、玉の
海の違った顔であった。それは、言うならば”無念
の顔”であった。”心残りの顔”であった。その顔
を見て、私はまた玉の海の悲運に泣いた。

<玉の海>

佐田の山は連続優勝後であったから驚いた。義父で
理事長であった元出羽ノ花の出羽海に帝王学を学ぶ
ためといわれた。曙の引退は師匠元高見山の東関と
の不仲といわれている。

横綱優勝がない男女ノ川・吉葉山・武蔵山は当然な
がら大関時代あるいは小結時代の優勝だから数字が
悪いのは当然である。双羽黒はついに幕内優勝がな
かった。ガチンコ大乃国は横綱という地位に苦しん
だ。その結果数字を悪くしている。最後は師匠放駒
(元魁傑)が決断をくだした。

<大乃国>

照ノ富士は現役だからここには登場しない。果たし
てどんな結果を残すのか。一人横綱だけにまだまだ
ベストを尽くして相撲を取っていただきたい。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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