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宮城野部屋の経緯 上

元白鵬の間垣が宮城野部屋を継いで18代宮城野として
力士の育成・指導、部屋の経営に携わることになっ
た。宮城野部屋といえば白鵬、炎鵬、石浦で名をはせ
てきた。特に白鵬は数々の記録を塗り替えてきた大横
綱であった。宮城野部屋はどういう経緯をたどって
きた部屋なのか。あらためてみていこう。

<師弟>

宮城野部屋の創設者は吉葉山である。吉葉山は入門
志願者と間違われ相撲部屋につれていかれた。その
相撲部屋は元八甲山の高島部屋であった。巴潟は高島
部屋に入門していたが、元矢筈山の友綱の養女と結婚
し、友綱部屋に移籍した。引退後独立して玉垣部屋、
名称を変えて安治川部屋をおこしていた。

<宮城野部屋の祖吉葉山>

高島亡き後高島部屋と安治川部屋を併合する形で高島
部屋とした。吉葉山は現役のときから吉葉山相撲道場
を設立していた。引退2年後宮城野部屋としてスター
トした。関脇明武谷、関脇陸奥嵐、小結廣川などを
育てた。明部谷は2度優勝決定戦に出場している。

<巴型のブロマイド>

1977年11月、元吉葉山の宮城野が亡くなるとあとを
継いだのが元廣川である。元明部谷の中村は1977年
1月限りで協会を離れていた。陸奥嵐は1976年3月
引退後、安治川として友綱(元巴潟)部屋に移籍し、
独立していた。元廣川の宮城野は港龍、竹葉山を育て
た。

<元白鵬に部屋をゆずった元竹葉山>

1989年6月元廣川の宮城野が亡くなると部屋を継承
したのが元竹葉山の中川親方である。白鵬以前に光法
を育てている。白鵬が前相撲を取ったのは2001年三月
場所である。白鵬は順調に出世し、2004年五月場所
新入幕を果たし、敢闘賞を受賞している。同年8月、
宮城野部屋にとんでもない異変がおこった。

(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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