2022年三月場所前、幕内の年齢番付を作成
した。そのときこう記した。「20代は22人、
30代は20人となった。30代をベテランとする
と、幕内は半分近くがベテランということに
なる。29歳の御嶽海、北勝富士、宇良、翔猿
は今年中に30歳を迎える。」こうした傾向は
いつごろから始まったのだろうか。系統別
総当たり、15日制以降の区切りのいい年数の
三月場所を調査して見た。1950年はまだ三月
場所がなかったので一月場所とさせていただ
いた。それが以下である。
1950年一月場所、横綱は羽黒山・東富士・
照國であり、若ノ花が新入幕の場所であった。
幕内は52人いた。30歳以上は3分の1程度で
ある。35歳以上は羽黒山と名寄岩の2人で
あった。1960年、横綱は栃錦・朝汐・若乃花
であった。栃錦は35歳、若乃花は32歳であっ
た。10代が一人いるが大鵬である。栃ノ海が
花田として新入幕を果たしている。ここでは
35歳以上が急激に増えている。北の洋、玉乃
海は37歳になっていた。なお、幕内は43人で
あった。
1970年、横綱は新横綱の北の富士・玉の海、
ベテラン大鵬であった。といっても大鵬は
29歳であった。30歳以上は一人しかいなかっ
た。大文字であった。その大文字も30歳だか
ら相当若い幕内構成といえる。幕内は34人で
あった。1980年、横綱は三重ノ海・北の湖。
若乃花・輪島のであった。30歳以上は36%に
増加していた。三重ノ海・輪島は32歳、大関
増位山は32歳、大関貴ノ花は30歳になって
いた。幕内は34人であった。
1990年、横綱は千代の富士・北勝海・大乃国
であった。30歳以上は33%と幕内38人の約
3分の1であった。千代の富士が34歳になっ
ていた。霧島が30歳であった。2000年、横綱
は貴乃花・曙・武蔵丸・若乃花であった。
貴闘力が幕尻優勝した場所であった。曙は
30歳になった。寺尾が幕内最年長で37歳に
なっていた。30歳以上は1990年とさほど変化
はなかった。幕内は40人であった。
2010年、横綱は白鵬一人であった。隠岐の海
が新入幕であった。大関魁皇が37歳になって
いた。大関琴光喜が33歳だった。琴光喜は
翌場所野球賭博が発覚し解雇にされてしまっ
た。30歳以上は39%と増加していた幕内は
41人であった。2020年になると30歳以上は
48%と現代に近づいてきたことがわかる。
幕内は現代と同じ42人であった。
ベテランの魅力はもちろんあるが、新しい
若い力が台頭しないと、次期大関、次期横綱
の誕生につながらない。ベテランが幕内半分
近くは気になる現象である。