三月場所は、思いがけず横綱照ノ富士が休場
した。横綱になって4場所目の初休場であっ
た。一人横綱であり、場所前の優勝候補と
して欠かせない存在であった。これまで両膝
の心配はあったが、のりこえてきた。それが
三月場所は後退するともたなかった。もっと
も休場理由はかかとを傷めたことであった。
きたる五月場所は今後を占う場所になりそう
である。
そこで実質横綱が地位化した常陸山以降の
東京横綱の初休場後の場所の成績を調べて
みた。常陸山から稀勢の里まで50人である。
もっとも玉の海は横綱休場がなく、現役の
まま亡くなられた。玉の海を除外すると実質
49人が対象となった。
横綱初休場の翌場所の成績のトータル成績は
339勝123敗4分186休であった。引き分けを
0.5勝0.5敗とすると勝率は7割3分2厘と
なった。1場所に換算すると10.98勝である。
優勝した横綱は双葉山、東富士、初代若乃花、
大鵬、北の湖、千代の富士、大乃国、朝青龍
である。なお、優勝制度以前の時事新報社
制定の幕内最高成績者に太刀山と栃木山が
いる。
双葉山の横綱初休場は「信念の歯車がくるっ
た」場所であった。そこで双葉山は九州の山
にこもって再起をはかった。翌場所は14勝
1敗で優勝した。やがて極意「後先の立ち
合い」の評価が聞かれるようになった。初代
若乃花の横綱初休場後の翌場所は史上初の
出来事が待っていた。栃錦と若乃花の横綱
同士が千秋楽全勝同士で激突した。栃若時代
の前期は栃錦、後期は若乃花優勢であった。
この一番を制した若乃花が全勝優勝を達成
した。
横綱初休場後の優勝及び時事新報社制定幕内
最高成績者以外の好成績者として、ほかに
9人いる。7勝1敗1分の2代目梅ヶ谷、
8勝2敗の大錦、9勝2敗の玉錦、13勝2敗
の羽黒山・貴乃花、12勝3敗の輪島・双羽黒・
白鵬・日馬富士があげられる。優勝力士と
あわせ19人になる。横綱初休場の翌場所の
好成績率は49人中19人で38.8%となった。
照ノ富士はこの中に加われるのか。
横綱の初休場から連続休場になった横綱が
19人いる。全休が常陸山、3代目西ノ海、
武蔵山、吉葉山、朝潮、北勝海、旭富士、
鶴竜の8人である。もっとも常陸山は横綱の
初日だけ休場であとは出場している。吉葉山
は不戦敗後14休なので実質的に全休である。
3代目西ノ海は、横綱在位15場所中皆勤は
少なく3場所であった。武蔵山は、横綱在位
7場所中皆勤はわずか1場所だった。旭富士
は晩年であった。
途中休場が2代目西ノ海、常ノ花、前田山、
千代ノ山、柏戸、佐田の山、2代目若乃花、
隆の里、3代目若乃花、稀勢の里の10人で
ある。2代目西ノ海は横綱在位5場所で皆勤
はたった1場所だった。前田山は横綱で好
成績がないまま休場中に野球観戦をしたこと
で引退させられた。千代ノ山は横綱返上問題
をおこしている。
隆の里は初休場を含めて4場所連続休場。
1場所皆勤して3場所連続休場の翌場所途中
で引退した。3代目若乃花は横綱初休場後
成績が好転しないまま引退している。稀勢の
里は新横綱の場所で土俵下に落下したとき
のケガが致命傷になった。その後1場所しか
皆勤できなかった。照ノ富士が連続休場した
場合かなり厳しくなる。
ケガで序二段まで番付を下げながら横綱に
昇進した照ノ富士。このまま終わるとは信じ
たくない。