5場所連続休場していた鶴竜は5場所目途中
で今年3月引退を表明した。休場を重ねて
きたが復活はならなかった。35歳だった。
横綱は5年間現役名で年寄になれるという
規定により、鶴竜親方として後進の指導に
あたることになった。鶴竜親方でいられる
のは2026年3月までである。
鶴竜は井筒(元逆鉾)部屋の力士だったが、
師匠の死去により陸奥(元霧島)部屋に移籍
した。だからゆくゆくは井筒部屋を再興する
とみられている。その場合鶴竜親方は内弟子
を自身の手でスカウトし、入門させなければ
ならない。それとともに部屋の土地を捜し、
相撲部屋を建てなければならない。今のとこ
ろそうした動きは見られない。
それとともに考えなければならないのは、
陸奥の定年である。2024年に65歳を迎える。
部屋には立田山(元薩洲洋)と浦風(元敷島)
親方がいる。立田山は陸奥より年上で先に
定年を迎える。浦風はもともと元青ノ里の
立田山部屋の第1号関取である。浦風が陸奥
部屋を継承できれば問題はない。
だが、部屋の師匠は資金力、指導力、さらに
部屋の経営力が求められる。元敷島の浦風は
審判のとき力士に声を荒げる面がある。彼に
その意志がない場合は鶴竜に順番がまわって
くることになる。
鶴竜が陸奥部屋を引き継ぐ可能性もあるのだ。
あるいは元霧島の陸奥が再雇用制度で残る
場合、部屋の名称を井筒とすることも考え
られる。むろん、年寄株を交換して陸奥部屋
として継承することもありえる
稀勢の里が引退してから荒磯部屋をおこす
まで2年以上かかった。しかも建物は現在
建築中である。鶴竜が今後親方としてどう
いう道を歩むことになるのか。気になるとこ
ろである。
全日本を見にいっています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。