横綱は休場しても地位が落ちないというまこ
とに不思議な地位である。特に負けが込むと
休場する傾向がある。また連続不成績後の
休場も珍しくない。つまり横綱に休場はつき
物である。そこで連続横綱フル出場の記録を
調べてみた。この種の記録はやはり年6場所
制以降が有利である。
ちなみに栃錦は10場所連続横綱フル出場、
初代若乃花は11場所連続横綱フル出場の記録
をもっている。6場所制の申し子大鵬は新
横綱の場所から15場所連続横綱出場で記録を
更新した。その後輪島がタイ記録を達成した。
これを一挙に更新したのが北の湖であった。
新横綱の場所から43場所連続横綱フル出場
という途方もない記録をつくった。
この後登場する2代目若乃花が16場所連続
横綱フル出場しただけで、千代の富士も貴乃
花もこの記録には無縁であった。朝青龍が
16場所連続横綱フル出場した程度であった。
北の湖の記録を破った横綱が白鵬であった。
なんと48場所連続横綱フル出場を達成した。
実に8年にわたって横綱フル出場を続けた
わけである。白鵬の優勝回数が多いのは、
こんなところにも大きな要因がある。
それでは「横綱フル出場率=横綱フル出場場
所数÷横綱在位場所数×100」はどうか。
横綱が実質地位化した常陸山以降を検証して
みた。明治・大正期では大錦が82%を記録
した。これを超えた横綱が栃木山である。
実に93%と唯一の90%台である。なにしろ
栃木山は横綱休場がわずか1場所しかない。
昭和戦前では男女ノ川が83%である。ちなみ
に双葉山は76%である。
戦後横綱フル出場率は鏡里が86%、栃錦が
82%である。年6場所制になって玉の海が
100%を記録した。玉の海の場合は現役死亡
と横綱在位10場所であることによって成り
立っている、といえる。ちなみに大鵬は76%
である。ほかに横綱フル出場率80%を超えた
のが、輪島80.85%、北の湖80.95%、朝青龍
83%、日馬富士80.65%である。
白鵬は晩年の休場の多さがマイナスに働き、
横綱フル出場率は77%である。横綱在位84場
所中横綱フル出場は65場所である。最後の
4年間は22場所中7場所しかフル出場して
いなかった。常陸山以降の横綱では千代の
富士の78%についで第12位である。これも
白鵬の運命としかいいようがない。
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