MENU

優勝した場所の前と後の負け越し6

■千代の山
・優勝した前場所負け越し9例目
戦後の相撲界は日本の古いものはだめという
風潮のなかで観客はガラガラであった。食料
事情もよくなかった。そんななか千代ノ山
(昭和28年秋場所まではノの字)は期待の
ホープだった。昭和20年秋場所では新入幕で
10戦全勝している。期待された割に優勝は
6回であった。昭和28年春場所後には横綱
返上問題をおこしている。最後の6回目の
優勝は初の全勝優勝であった。その前場所は
全休であった。

<千代の山のブロマイド>

■2代目玉乃海
・優勝した前場所・翌場所負け越し5例目
昭和32年11月、初めて福岡の福岡スポーツ
センターで本場所が開催された。荒法師
玉乃海は前頭18枚目、金色のまわしで全勝
優勝した。前頭は23枚目まであった。幕内
は58人いた。ただ、玉乃海は横綱・大関戦は
一番もなかった。関脇が最高位の対戦相手で
あった。強豪を倒さずの優勝は価値あるもの
とはいいがたかった。玉乃海は前場所全休。
翌場所は小結に昇進した。横綱に3敗、大関
に1勝したが、5勝10敗と大敗している。

<玉乃海のブロマイド>

■朝潮
・優勝した翌場所負け越し20・24例目
朝潮は強い朝潮と弱い朝潮が同居している
といわれた。巨体から繰り出す突っ張りは
脅威であった。若瀬川は朝潮に突き倒された
とき、倒れてから土俵上を1メートル尻が
すべったという。朝潮は同時にケガが多く
大成しなかった。優勝は5回あるが、4回は
大阪だった。3回目の大関の優勝の翌場所、
5勝4敗6休と負け越している。最後の優勝
となった5回目の優勝の翌場所0勝4敗11休
と負け越した。5回目の優勝から5場所後の
場所前に引退している。最後までケガに勝て
なかった。

<朝潮のブロマイド>

■若羽黒
・優勝した翌場所負け越し21例目
若羽黒の大関昇進成績は7勝-11勝-12勝と
負け越しが絡んでの成績だった。こうした
例はほかに魁傑の最初の大関昇進がある。
ともに大関が一人という事情が絡んでいた。
ところが、若羽黒は新大関の昭和34年十一月
場所で初優勝を成し遂げてしまった。若羽黒
少年を立浪(元緑嶋)部屋に入門させたのは
ひげの伊之助であった。そしてこの場所が
定年であった。支度部屋で賜杯を抱く若羽黒
のそばでバンザイに参加した。しかし、若
羽黒の優勝は1回限りであった。翌場所は
7勝8敗と負け越している。

<若羽黒のブロマイド>

■初代若乃花
・優勝した前場所負け越し10例目
・優勝した翌場所負け越し23例目
若乃花は10回優勝している。そのうちの8回
は横綱になってからである。もっとも劇的な
優勝は昭和35年三月場所の栃錦との千秋楽
全勝決戦である。史上初めて横綱同士(横綱
同士以外では優勝制度のない時代にある)が
千秋楽全勝同士でぶつかるという劇的な場所
となった。

<若乃花のブロマイド>

時津風(元双葉山)理事長がこの一番だけ
土俵下から見守った。栃若戦は前期栃錦、
後期若乃花有利であった。がっぷり左四つ
から栃錦は下手をぬいて上手を切らんとした
が、若乃花はまわしを引きつけ、寄り切った。
前場所若乃花は0勝3敗12休と負け越して
いた。また、若乃花は最後の10回目の優勝の
翌場所5勝4敗6休と負け越している。

(この項目続く)

五月場所観戦予定者は不安を感じています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

ブログランキング

当サイトはブログランキングに参加しております。記事をよんでいただいたら、以下バナーをクリックいただくと、ランキングに反映されます、1日1クリックよろしくおねがいします
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

目次