昭和51年九月場所、大関から降格して5場所
目になる魁傑が前頭西4枚目で優勝した。
横綱輪島12勝(同部屋のため対戦なし)、
横綱北の湖10勝、大関陣は貴ノ花10勝、旭國
10勝、三重ノ海9勝であった。魁傑は2回目
の優勝であった。
関脇は麒麟児、若三杉(=2代目若乃花)が
勝ち越していた。しかし、2ケタ勝利の若三
杉が東に、優勝した魁傑が西に、8勝の麒麟
児は張出にまわった。小結は前頭西5枚目
黒姫山が9勝6敗で東小結に前頭西3枚目の
富士櫻が8勝7敗で西小結に上がった。
若貴ブームで加熱人気の大相撲で貴花田が
14勝1敗で初優勝を達成した。日本中を熱狂
させた。平成4年一月場所のことである。
横綱北勝海は全休、横綱旭富士は引退、大関
陣は小錦が12勝、霧島が8勝であった。貴花
田と優勝を争ったのは同期のライバル小結曙
であった。13勝2敗で次点であった。
関脇琴錦、貴闘力は負け越しであった。小結
で13勝をあげた曙が東関脇に、前頭東2枚目
優勝貴花田が西関脇にすわった。東小結で
8勝の栃乃和歌は据え置きとなった。前頭西
筆頭で10勝の若花田が西小結に、前頭東筆頭
で8勝の水戸泉が張出小結となった。関脇で
7勝の琴錦は前頭東筆頭に、7勝の貴闘力は
前頭東2枚目に位置した。
平成4年七月場所、横綱は不在であった。
大関陣は曙が全休、小錦が10勝、霧島が11勝
であった。そんななかまさかと思ううちに
水戸泉が前頭西筆頭で優勝した。小錦とは
同部屋のため対戦はない。大栄翔と同じ地位
での優勝であった。
関脇は安芸ノ島が10勝で確保。小結武蔵丸が
11勝、前頭西筆頭水戸泉13勝、西小結三杉里
8勝、東張出小結貴花田8勝が関脇候補で
あった。東関脇安芸ノ島、西関脇武蔵丸、
水戸泉が張出関脇になった。三杉里、貴花田
は東西の小結で昇進はなかった。また、前頭
東2枚目の旭道山が9勝で小結に張り出され
た。
平成13年九月場所、東前頭2枚目で琴光喜が
優勝した。横綱武蔵丸は9勝、横綱貴乃花は
全休だった。大関陣は、武双山が10勝、魁皇・
千代大海・雅山は途中休場していた。いわば
横綱・大関が手薄の状態であった。朝青龍は、
琴光喜が優勝したことで自分もできると思っ
たという。
関脇は栃東が12勝で確保。大関から雅山が
降格してくるのが確実であった。その中で
琴光喜が西関脇について、雅山が張出関脇に
なった。前頭西筆頭で10勝した朝青龍が 東
小結に、前頭東4枚目10勝の海鵬が西小結に
昇進した。
平成30年一月場所、前頭西4枚目の栃ノ心が
優勝した。比較的新しいことなので覚えて
いることと思う。横綱白鵬と稀勢の里は途中
休場。横綱鶴竜は11勝4敗。大関陣は、豪栄
道が8勝、高安が12勝であった。
関脇の勝ち越しは御嶽海だけであった。小結
にも勝ち越しはいない、栃ノ心は西関脇に
昇進した。小結には前頭西筆頭で10勝した
逸ノ城が10勝で、前頭東3枚目の千代大龍
が8勝で上がった。
関脇2人あるいは3人が勝ち越していた場合
で関脇に昇進した平幕上位優勝者は高見山、
金剛、魁傑である。関脇1人勝ち越しと大関
からの降格者がいて関脇に昇進した平幕上位
優勝者は琴光喜である。関脇1人勝ち越し、
小結に2ケタ勝利者がいて関脇に昇進した
平幕上位優勝者は若三杉と水戸泉である。
やはり、前頭西筆頭優勝大栄翔の小結2の
番付は不合理である。
(この項目終わり)
強風の一夜でした。
興味深いテーマをこれからもお届けします。