大鵬は21歳で横綱になり、9年4場所横綱を
務めた。そのうち皆勤は44場所であった。
これまでの横綱で対大関戦の最高対戦回数は、
栃錦の45番であった。大鵬は、50番はおろか
100番を超えて142番という途方もない記録を
達成した。成績がまた、すごかった。120勝
22敗(優勝決定戦の勝利、不戦勝及び不戦敗
を含む)である。対戦した大関は若羽黒から
前の山まで11人に及んだ。北葉山・佐田の山・
栃ノ海・栃光・豊山の5大関時代に遭遇した
ことも対戦回数を増やす要因になっている。
また、大関戦の連勝は大変なものである。
14連勝、12連勝、10連勝、19連勝、13連勝を
記録している。このうち19連勝は昭和41年
七月場所豊山に負けたあとの九月場所から
始まっている。そして昭和42年十一月場所の
大関玉乃島戦の不戦敗でストップしている。
その詳細は以下である。
●豊山
○北の富士
○豊山
○豊山
○玉乃島
○北の富士
○豊山
○玉乃島
○北の富士
○豊山
○玉乃島
○北の富士
○玉乃島
○北の富士
○北の富士
○玉乃島
○豊山
○琴櫻
○北の富士
○豊山
■玉乃島
このあと大関に13連勝しているのだから痛恨
の不戦敗となった。
大関佐田の山には15勝(優勝決定戦の勝利、
不戦勝含む)1敗。1敗したあと15連勝して
いる。大関北の富士には12勝1敗。12連勝
して1敗した。大関清國には7勝1敗であっ
た。最初負けたあと7連勝している。大関
玉乃島には10勝2敗(不戦敗含む)不戦敗
がなければ10連勝していた。最多対戦は大関
豊山で23勝3敗であった。豊山の相撲は大鵬
からみればスキだらけであった。次が大関
北葉山で19勝5敗であった。
大鵬は対大関戦にとてつもなく強かった横綱
といえる。
横綱柏戸も対大関戦100番を超えた。成績は
67勝42敗(1不戦勝、1不戦敗含む)で
ある。対戦大関は若羽黒から琴櫻まで10人で
ある。系統別総あたりでは大鵬と琴ヶ濱の
対戦はなかったが、柏戸は孤軍奮闘だった。
時津風 (元双葉山)部屋の北葉山、豊山
とも対戦 している。
大関北葉山に12勝4敗、大関栃光に10勝2敗、
大関豊山に17勝6敗と好成績を残している。
大関佐田の山に5勝3敗(1不戦敗含む)と
勝ち越している。大関栃ノ海には2勝4敗と
負け越している。北葉山・佐田の山・栃ノ海・
栃光・豊山の5大関時代を経て誕生した大関
北の富士に8勝8敗、大関玉乃島に5勝10敗、
大関琴櫻に3勝5敗と負け越している。
晩年の柏戸は苦悩の横綱であった。佐田の山
に先に引退され、次の横綱誕生のめどは立た
ないので、辞めるに辞められなかった。そん
な状況だったので、大関北の富士・玉乃島・
琴櫻戦は不成績につながった。新横綱誕生は、
結局柏戸の引退後になった。
綱の重さにつぶされた横綱が栃ノ海である。
最後は誰と対戦しても勝てるかどうかわから
なかった。横綱栃ノ海の対大関戦は10勝9敗
である。3人の大関としか対戦していない。
大関豊山に7勝3敗(1不戦敗含む)、大関
北葉山に3勝5敗である。もう一人は昭和
40年一月場所から始まった部屋別総あたりで
大関佐田の山と対戦している。この横綱対
大関戦は疑惑をもたれないようにするためか、
なんと4日目に実現している。外掛けで攻め
る栃ノ海をうっちゃって佐田の山が勝って
いる。
(この項目続く)
プロ野球に観客が戻ってきます。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
イラストとマークの2カ所をクリックして支援してください。