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北玉時代10

昭和46年九月場所が終了して、今度こそ手術
のはずが、そうはいかなかった。一門の大先
輩大鵬の引退相撲が10月2日に控えていた。
大鵬最後の土俵入りの太刀持ちを務めなけれ
ばならなかった。結局玉の海が入院したのは
10月4日であり、手術は6日になった。虫垂
炎の手術だから大事にはいたらないと誰しも
そのときは思った。だが、それから5日後の
10月11日、様態は急変した。思いがけず、
右肺動脈幹に発生した血栓症が原因で横綱
玉の海は帰らぬ人となった。青年横綱の目は
永遠に閉じられてしまった。

27歳の横綱玉の海の急死。それはあまりにも
衝撃的で、これ以上ない悲しみの出来事だっ
た。また息子の死を前にして、悲しみに泣き
崩れる玉の海の母の姿が、あまりに痛々しく
とびこみ、悲しみをいっそう深めた。まだ
取り盛り、双葉山の域にどこまで近づけるの
か。そんな楽しみ、可能性さえ失ってしまっ
た。玉の海の訃報を知り、虎ノ門病院に駆け
つけた双葉山に傾倒し、玉乃島のときから
玉の海のよさを最初に見出した小坂秀二氏は
次のように語っている。

<玉の海>

駆けつけた病室の前の廊下には、二子山親方
(もと横綱若乃花)と、かつて私のNHK
時代には一緒に働いた社会党の上田哲参議院
議員の二人が、沈痛な面持ちですわっていた。
二子山に案内されて、遺体のある病室に入っ
た。玉の海の体をおおった白布がパッと目に
入る。突然、胸にはげしく突きあげてくる
ものがあって、私は膝の力を失った。くずれ
る体をかろうじてベッドでささえたが、同時
に、体の奥から噴き出るように号泣してしま
った。

「どうか顔を見てやって下さい」と、これも
涙の片男波夫人がうながす。「おだやかな
死に顔でした」という言葉は、死者に対する
礼であるかもしれないが、私にはどうしても
そういう言葉を用いることはできない。白布
の下の玉の海の顔は、あのいつもの明るい
玉の海の顔ではなかった。また、いつもの
無欲な玉の海の顔でもなかった。私がはじめ
て見る、玉の海の違った顔であった。それは、
言うならば”無念の顔”であった。”心残り
の顔”であった。その顔を見て、私はまた
玉の海の悲運に泣いた。

<北の富士の絵葉書>

胸の上に組まれた腕を、私はなでさすった。
その腕は、まだ若く、たくましく、鍛え抜か
れた張りを持っていた。こんなに、生きる力、
伸びる力を持っている体なのだから、玉の海
は、どんなに残念だったろう。どんなに生き
たかったことだろう。やりたいことがいっぱ
いあったはずだ。そのことを、つい少し前に
話し合ったばかりだったのだ。

玉の海の死は、すべての人から惜しまれた。
私も惜しい。しかし、玉の海の心情を思うと、
私たちの気持ちがどうこうと言うより、玉の
海がかわいそうでならない。玉の海の無念さ、
残念さが、その顔に残っているのだ。(がち
んこ相撲-誰が現代の双葉山か-小坂秀二著
いんなあ とりっぷ社刊より)

いささか長い引用になったが、玉の海の死に
直面した貴重な証言である。略さずきちんと
伝えたかったのである。

<東京中日スポ-ツ掲載はやわざ御免の記事>

北の富士は当時を振り返る。私は秋巡業で
岐阜県羽島市に車で到着したばかり。旅館の
前に大勢の人だかり、顔見知りの記者もたく
さん来ていました。私はのんびり「俺の悪事
がバレたのかな」。にしては…。みんな血相
を変えていることに気がつきました。車から
降りると「玉の海が亡くなりました。何か
感想は」。私はこの野郎、悪い冗談を言い
やがると思いましたが、やがて事実を知り
ました。しばらくの間はとても信じられま
せんでしたが、事の重大さにも気付かされ
ました。人目も構わず泣きました。夕食も
せず泣き続けました。(2020年6月5日付
東京中日スポーツはやわざ御免より)

玉の海が生きていたら、北の富士とともに
角界をリードしただろう。昭和47年から始ま
った誰が優勝するかまるでわからない戦国
場所はなかったろう。横綱琴櫻の誕生もなか
った可能性がある。大鵬には勝った貴ノ花は
ついに玉の海に1度も勝てなかった。打倒
玉の海は貴ノ花を急成長させただろう。輪島
の横綱昇進、北の湖の横綱昇進はもう少し
遅れたかもしれない。玉の海の死はあまり
にも大きな損失だった。

(この項目終わり)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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