大相撲

20歳以下の新入幕力士9

2020年6月8日

■北天佑
足腰、均整の取れた体、持っている素材は
素晴らしく、新弟子のころから将来の大関・
横綱候補であった。昭和55年十一月場所に
20歳で新入幕を果した。16場所関脇以下に
いながら、優勝1回、殊勲賞2回、敢闘賞
4回、技能賞1回受賞した。小結4場所、
関脇3場所努めている。その間負け越しは
全休を含む3場所であった。22歳で大関に
昇進した。しかし、大関昇進後、勢いは止ま
り、44場所務めて、引退した。30歳だった。

<北天佑>

■隆三杉
今のファンにとって、隆三杉は親方多難人生
を歩んでいるように映るかもしれない。出羽
一門の千賀ノ浦部屋を引き継ぐことになった
り、貴乃花の突然の離職で、部屋の力士を
引き受けることになったりしている。その
うち2人が暴行事件で、相撲界を去っている。
隆三杉は昭和56年七月場所、20歳で入幕した。
入門は元初代若乃花の二子山部屋である。
あだ名はドラえもん。最高位は小結で、2場
所努めた。三賞には縁がなかった。最後は
十両で引退した。34歳まで取った。

<隆三杉>

■騏ノ嵐
今、ニ所ノ関部屋の本家はない。元金剛を
最後に消滅してしまった。ニ所ノ関部屋の
後継者を争ったのが元大麒麟の押尾川であっ
た。だが、押尾川と未亡人の話し合いがまと
まることはなかった。結局押尾川部屋をおこ
したが、子飼いの弟子のなかから誕生した
幕内力士が騏ノ嵐であった。昭和57年三月
場所、20歳で入幕した。入幕後は、ケガの
影響で幕内より十両生活が多かった。また、
幕下まで落ちたことがあった。最高位は前頭
2枚目。最後は序二段まで番付を下げ、引退
(廃業)した。30歳であった。

■若瀬川
若瀬川は3人いる。戦前、戦後。そして昭和
58年一月場所、20歳で入幕した若瀬川である。
入幕後は十両に戻ったこともあり、関取生活は
十両29場所、幕内33場所であった。三賞の
受賞はないが、大乃国から金星を奪ったこと
がある。最高位は前頭筆頭である。最後は
十両で引退した。30歳直前で引退した 。

■大ノ国
現広報部長。実は八角(元北勝海)理事長
より年上。昭和58年三月場所、20歳で入幕を
果した。右四つ、巨体を利しての寄りを得意
とした。のちに大乃国に改名。22歳で大関に、
25歳で横綱初陣となった。師匠がクリーンの
元魁傑の影響があり、相撲はがちんこだった。
そのがちんこゆえに千代の富士の連勝を止め
たことがあった。強さともろさが背中合わせ
で、苦しい成績が続いたことがあった。最後
は休場多くなり、28歳で引退した。

<大ノ国のブロマイド>

■保志(北勝海)
千代の富士とともに九重(元北の富士)部屋
の黄金時代を築いた。昭和58年九月場所、
20歳で入幕した。兄弟子千代の富士とは約3
歳の年齢差である。相撲は突き押しを中心と
した。大関昇進とともに北勝海と改名した。
大関に昇進したのは23歳、横綱は24歳のとき
であった。三賞は殊勲賞3回、敢闘賞3回、
技能賞5回、優勝8回。いずれも自己の限界
以上の力を発揮した。引退は28歳であった。
現在の八角(元北勝海)部屋は、かつての
師匠である元北の富士の井筒~九重部屋の
建物を改装したものである。

<保志(北勝海)のブロマイド>

(この項目続く)

6月にしては暑過ぎます。
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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