■若三杉
のちの2代目若乃花。甘いマスク、柔らかい
足腰、颯爽たる取口で素材は抜群だった。
人気も急上昇。どこまで実績を築くか、期待
は大きかった。昭和48年十一月、20歳で入幕。
元安芸ノ海は北の富士クラスに成れるとみて
いた。23歳で大関に、25歳で横綱になった。
しかし、優勝はわずかに4回と期待ほど大成
しなかった。師匠の娘をもらったが、のちに
離婚。時代を感じさせる出来事だった。29歳
で引退した。
■千代の富士
昭和50年九月場所、20歳で入幕、ところが
翌場所十両に落ちると、さらに幕下まで番付
を落とす有様だった。結局再入幕までに14場
所かかっている。強引な投げで脱臼癖があっ
た。そうならないために筋肉の鎧をまとう
ようになった。筋骨隆々の体は太っている
お相撲さんのイメージと違い、外国人には
好評だった。
取口は前褌を取って寄る相撲にかえていった。
昭和56年一月場所、優勝決定戦で北の湖に
勝って初優勝。その年は大関優勝、横綱優勝
を1年間で達成している。大関昇進は25歳の
とき、横綱昇進は26歳のときであった。貴ノ
花、輪島が引退していって時代の変わり目で
あった。後年優勝が31回、53連勝を成しえた
のは力士寿命の長さだった。36歳直前で引退
した。
■小沼
昭和51年三月場所、20歳で入幕した。本名で
ある。幕内在位はわずか2場所で最高位は
前頭9枚目であった。足首のケガで、十両
2場所でさらに幕下へ降格した。十両へ復帰
したものの再び幕下へ。師匠元柏戸の鏡山と
うまくいかなくなったことも加わって、最後
は、幕下で引退(廃業)した。まだ23歳で
あった。
■琴風
琴櫻の内弟子だが、当時の佐渡ヶ嶽(元初代
琴錦)が分家独立を認めなかった。琴風は
初代琴錦の弟子として土俵にあがることに
なった。ところが、まもなく、佐渡ヶ嶽(元
初代琴錦)が亡くなり、琴櫻が部屋を継ぎ、
琴風はめでたく琴櫻の弟子になれた。昭和52
年一月場所19歳で入幕を果した。得意技は
かぶり寄りであった。昭和53年十一月場所で
左ひざ内側を大ケガした。翌場所再発し、
全休を十両、幕下で続け、幕下30枚目まで
番付を下げた。
すぐに幕内に復帰したが、再発と半月板損傷
で途中休場と全休がある。昭和56年は三役に
定着し、九月場所優勝して大関に昇進した。
25歳のときのことである。大関でもう1回
優勝している。大関勝率は0.65838。これは
年6場所制最高位大関の力士で把瑠都の
0.65841に継いで2位である。負け越しは2
場所。大関在位は22場所で、2ケタ勝利が
13場所。琴風の大関に対する責任感が読み
取れる。最後は平幕で取った。28歳で引退した。
■闘竜
昭和54年十一月場所、20歳で入幕した。三保
ヶ関(元増位山父)所属。右四つ、突き、
押し、寄りを得意とした。三賞は敢闘賞1回、
三役は小結2場所、関脇1場所だった。貴ノ
花、貴花田、若花田と対戦。貴花田、若花田
とは十両のとき対戦している。最後は十両で
取った。31歳であった。
(この項目続く)
扇風機をタイマーにして寝ました。
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