5大関でも多いのに、大相撲史上6大関が
誕生した時期がある。平成24年五月場所から
3場所である。その前場所の三月場所は把瑠
都、日馬富士、稀勢の里、琴奨菊、琴欧洲の
5大関だった。この場所、優勝決定戦で白鵬
に敗れたとはいえ、13勝2敗の関脇鶴竜の
大関昇進は決定的であった。鶴竜の大関昇進
で五月場所は6大関という前例のない番付に
なった。
これを豪華と受け止めることはとてもでき
ない。むしろ過剰、存在価値の低下という
声のほうが多数ではないだろうか。多くの
大関が本当に優勝を争う大関の力をもって
いるならともかく、昇進した途端1ケタ勝ち
星が多い、という傾向はいつの時代も変わら
ない。
事実琴欧洲、日馬富士、把瑠都、琴奨菊、
稀勢の里の5大関時代は2場所あり、2場所
とも10勝以上した大関は日馬富士と把瑠都
のみであった。これに鶴竜が加わった6大関
時代は平成24年五月場所、トータル54勝で
スタートした。2ケタ勝利は稀勢の里の11勝
と琴奨菊の10勝であった。この場所史上初の
平幕同士の優勝決定戦が実現し、旭天鵬が
栃煌山に勝って初優勝を飾った。
七月場所は大関日馬富士が全勝優勝した。
白鵬と千秋楽14勝同士で激突しての優勝だっ
た。この場所6大関のトータルは61勝と好成
績となった。もっとも2ケタ以上は優勝日馬
富士と10勝の稀勢の里・琴奨菊の3人であっ
た。日馬富士一人が数字を押し上げた、と
いえる。
続く九月場所も引き続き日馬富士が全勝優勝
し、横綱昇進を決定的にした。この場所琴奨
菊・把瑠都・琴欧洲の3大関が途中休場し、
大関は半減した。それでも3人はフル出場に
なるのだから、数の攻勢といえなくもない。
日馬富士が横綱になって大関は一人減ること
になった。こうして6大関時代は3場所で
消滅することになった。
<横綱に昇進した日馬富士>
汗が止まりません。
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