前回初優勝から連続優勝した5力士と初優勝
から2回目の優勝が、15場所後以上の柏戸・
北の富士を取り上げてきた。その続きを記す
前に初優勝から2回目の優勝が10場所後以上
14場所後までの力士を参考までに列記して
おこう。
鏡里 11場所後
魁傑 11場所後
北天佑13場所後
旭富士14場所後
小錦 12場所後
武蔵丸14場所後
貴ノ浪11場所後
栃東 11場所後
日馬富士12場所後
さて再び初優勝から2回目の優勝が15場所後
以上の力士に触れてみよう。3人目は三重ノ
海である。現相撲博物館館長である。三重ノ
海の初優勝は昭和50年十一月場所であった。
輪島、北の湖、魁傑、貴ノ花は既に優勝して
いた。彼らに遅れたとはいえ、当時関脇で
あっただけに優勝候補にはあがっていなかっ
た中での優勝だった。
この優勝で大関に昇進した三重ノ海だったが、
ここからが苦しみの連続だった。大関3場所
で関脇に降格したのである。2場所連続途中
休場であった。関脇で10勝をあげて大関に
復帰したものの、8場所連続1ケタ勝利で
あった。そのうち2場所は負け越しであった。
三重ノ海はこのままがクンロク大関として
2回目の優勝なく終わっても不思議でなかっ
た。
ところが三重ノ海はクンロクを脱し、強さを
見せ始めたのである。それは、再大関13場所
目だった。ここから5場所連続2ケタ勝利。
4場所目は13勝で優勝に次ぐ成績であった。
翌場所は優勝同点の14勝1敗であった。この
好成績によって横綱に昇進した。すると、
三重ノ海は横綱2場所目に優勝を達成した。
初優勝から実に24場所後であった。これまで
の16場所後を大きく上まわり、一気に数字が
飛躍した。
琴錦は元々実力者ではあった。それでも2回
平幕優勝するとは、だれも想像できなかった。
実は琴錦の最初の優勝は平成3年九月場所で
あった。23歳の若武者であった。それから
43場所後に2回目の平幕優勝が達成されて
いる。約7年後である。想像を絶する年数で
ある。琴錦はすでに30歳になっていた。これ
が優勝史上初優勝から2回目の優勝への間隔
最長記録となって、破られずに現代に至って
いる。
貴花田が2回優勝したことによって日本中を
熱狂させていた。もう一方の雄若花田として
も黙っていられない。平成5年三月場所、
横綱曙は14日目を終えて9勝5敗と不調。
大関貴ノ花は14日目負け3敗となって13勝
1敗の若花田の初優勝が決定した。
ところが、ここから2回目の優勝までが長か
った。その間貴ノ花は11回の優勝を成し遂げ
ていた。同期の曙にしても8回優勝していた。
一人取り残された「お兄ちゃん」であった。
若花田が3代目若乃花として2回目の優勝を
達成したのは、実に16場所後であった。貴乃
花と兄弟優勝決定戦をした平成7年の十一月
場所であった。
平成11年一月場所、関脇千代大海は、1差で
横綱3代目若乃花を追っていた。関脇と横綱
でありながら、勢いは千代大海にあった。
千代大海は本割、優勝決定戦で若乃花を圧倒
し、初優勝してしまった。この優勝で千代
大海は大関に昇進した。
大関に昇進してから優勝が遠かった。平成14
年一月場所千秋楽では、栃東に本割、優勝
決定戦で連敗して優勝を逃していた。平成
14年七月場所、横綱貴乃花全休、大関魁皇・
栃東途中休場、大関武双山全休であった。
大関以上で出場したのは横綱武蔵丸と大関
千代大海だけであった。
<千代大海>
武蔵丸は終盤連敗して優勝戦線から脱落。
1敗を維持した千代大海は関脇朝青龍と
13日目1敗同士で激突した。これに勝利した
千代大海が、そのまま14勝1敗で2回目の
優勝を達成した。初優勝から21場所後のこと
であった。
現役では照ノ富士、琴奨菊、豪栄道、栃ノ心、
御嶽海、貴景勝、玉鷲、朝乃山が初優勝の
ままである。彼らのなかから2回目の優勝を
達成する力士が現われるであろうか。そして
それは初優勝から何場所後になるのか。そう
いう優勝着目点で本場所を見るのも一興で
ある。
御嶽海、貴景勝、玉鷲、朝乃山が初優勝の
ままである。彼らのなかから2回目の優勝を
達成する力士が現われるであろうか。そして
それは初優勝から何場所後になるのか。そう
いう優勝着目点で本場所を見るのも一興で
ある。
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