15日制が定着した昭和24年夏場所以降大関に
昇進した3場所連続の成績をみていこう。
大関でいうと三根山以降になる。なお、大関
の降格が3場所連続負け越しになったのは、
昭和33年からである。大関の代でいうと松登
が途中から適用になっている。三根山、大内
山は2場所連続負け越しで大関を降格して
いるが、松登、若羽黒は3場所連続負け越し
で降格した。
昭和20、30年代の大関の3場所連続成績の
回数は以下である。
30勝以上…大関として合格
23勝~29勝…勝利数が(負け+休場数)より
多い
22勝以下…勝利数より(負け+休場が多い)
が多い
といって揶揄されたものである。一月場所の
高安・豪栄道は「クンロク大関」であった
わけである。とりわけ大関直前13勝をあげた
松登は大関昇進後、ついに1度も10勝以上の
成績をあげられなかった。
内がけ名人琴ヶ濱は大関昇進直前12勝-11勝
-10勝ー11勝-13勝で文句なしに大関に昇進
した。ところが昇進後は、2場所連続負け
越しが4度もある。4度目で引退した。栃光
は、新大関から3場所連続30勝以上がを5回
連続達成している。
豊山は学生出身だが、期待の星だった。十両
で15戦全勝、新入幕で13勝をあげ、敢闘賞を
受賞している。大関直前の3場所は12勝-
12勝-13勝と数字だけみると横綱昇進と見間
違うほどである。13勝のときは大鵬と千秋楽
まで優勝を争ったほどである。大鵬に対抗
していくのは豊山という見方があったほどで
ある。
<豊山>
その豊山が昭和38年三月場所の新大関のとき、
千秋楽7勝7敗で大鵬と対戦して敗れて負け
越した。このとき豊山が未完の大器で終わる
ことは、決まっていたのかもしれない。つい
に豊山は優勝がなく、横綱になれなかった。
豊山は3場所30勝以上を7回連続達成した。
この時点では最高記録であった。だが、それ
以降3年余り3場所30勝以上を超えることは
二度となかった。
都心の雪が心配です。
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よしなに
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