双葉山の強さを語れる世代はほとんどいない
と思われるほど、時は過ぎ去っていった。
もはや双葉山は遠い昔の存在になりつつある。
しかし、今から約50年前の昭和42年、専門誌
「大相撲」(読売新聞社発行)名古屋場所
展望号で双葉山と大鵬を比較する企画が打ち
出された。双葉山と比較できる力士はこれ
までいなかった。大鵬が始めて比較対象と
なったのである。このとき大鵬はまだ現役で、
23回の優勝を達成していた。ただし、2度目
の6連覇を達成して2場所目であった。
<双葉山のブロマイド>
双葉山と同時代に生き、対戦したNHKの
解説者玉の海梅吉氏が双葉山の強さを記して
いた。記した内容は大部分が双葉山に関して
であって、大鵬のことはかなりスペース的
には少量で扱われた。まだ、大鵬は横綱とし
て途上であり、ここでは双葉山の強さについ
てのみ触れていくことにする。
双葉山は初め普通の力士だったという。玉の
海梅吉氏は言う。昭和七、八年ごろだと思う。
わたしたち二所ノ関の者は、部屋にけいこ場
がないので、師匠と彼がいる立浪部屋へけい
こに出かけたそのころの彼は、これといって
目立ったところない力士で、からだこそやわ
らかかったが、ただそれだけが取り柄の、なん
でもない取り口だった。
双葉山が強くなったのは大関、横綱のころ
だと玉の海梅吉氏はいう。双葉山対玉ノ海
(当時は「ノ」の字ある)の幕内初対戦は
昭和11年夏場所、双葉山が関脇で初優勝した
ときである。双葉山の大関はその翌場所で
ある。双葉山は昭和11年春場所から連勝記録
をスタートさせていた。
<玉の海氏の著書>
玉の海梅吉氏が語る双葉山の強さは、とに
かく尋常一様でなかったという。双葉山の
強さ-。それは一口でいうと、どこからかか
っていってもビクといもしない-そこにあっ
た。押しても押しても、上体がゆら、ゆらと
ゆらぐだけで腰から下はさっぱり動かない。
まるで根がはえたよう。と肌で感じた双葉山
を語る。せめて上体でもかぶさってくるなら、
回り込んで立ち直れるが、下から根こそぎ
もってくるのだから逃げようがない…。こう
いったぐあいで全くどうしようもなかった。
と述べている
(この項目続く)
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