■2位 稀勢の里72代横綱に昇進
稀勢の里が一月場所初優勝して、そのまま
横綱に昇進した。昨年69勝と年間最多勝を
とったことが大きく影響した。平成10年五月
場所後3代目若乃花以来の待望の日本人横綱
誕生であった。
長年待たされた日本人横綱誕生!これをあえ
て1位にしたい(KW氏)。
長年待たされた日本人横綱誕生!これをあえ
て1位にしたい(KW氏)。
M氏は言う。一月場所での初優勝で横綱昇進
となった時、日本人には甘いなと感じた。
だが、それを払拭する三月での連続優勝。
1月に見送られていたとしても3月に昇進
していた。それだけに3月の日馬富士戦での
負傷、いまだ復調せず4場所連続休場。稀勢
復活後期待していた日馬富士-稀勢の里は
今後永遠に実現しない。すべてが残念でなら
ない。
稀勢の里フィーバーは大変なモノで、彼の
行くところ常に予想以上の人々が集まった。
HR氏とKW氏が1位に、M氏とA氏が2位
に、T氏が3位に、I氏が5位にあげている。
■1位 日馬富士突然の引退
十一月場所後の29日番付編成会議の日、日馬
富士は暴行事件の責任を取って引退した。
やるだけやったご苦労様という引退ではなか
った。仕方がないという、どこか未練を感じ
させる引退となってしまった。師匠の伊勢ヶ
濱が横綱の引退では珍しく涙だった。
衝撃でした。あと帰化の準備をしていたのは
驚きでした(HR氏)。スピード感あふれる
相撲をまだまだ見たかったし優勝ももっと
できたと思うが、暴力はいけない(KW氏)。
M氏は以下のように述懐する。日馬富士の
引退だけは避け、土俵に戻ってほしかったが、
それが叶わぬ今、知りたいのは真実。略式
起訴ではなく、裁判となって真実の公開を
希望したい。あの夜本当は何があったのか?
今後も含め、知りたい。
歴史にもしはないが、時間を遡及できれば
今回の引退は避けられただろうか?
11月14日 十一月場所3日目 マスコミ報道。
11月29日番付編成会議 日馬富士引退会見。
問題は山積だが、14日~29日の間で引退を
回避できる手段はあったはず。警察への被害
届提出や貴乃花親方の協力拒否等があったに
せよ、日馬富士の引退という、彼一人が諸悪
の根源のごとく扱われるのは不当であると
言わざるを得ない。
人生の大半を大相撲に捧げ、角界の頂点を
極めた日馬富士。この短期間で引退を決める
ことはおかしい。引退したら復帰はないのだ
から、もっと熟慮してほしかった。
番付編成会議の当日に引退届提出は、十両
昇進力士(天空海か希善龍)に配慮という
ことも考えられるが、横綱自身の人生がかか
っているのだから、そう簡単な決断ではなか
ったはず。この時点で警察の判断は出ていな
いのだから、引退は早すぎる決断で あった。
後、書類送検や横審から引退勧告が出そうと
いうときに引退でも良かったと思う。
あの突き刺さる立ち合いが見られなくなると
悔しい…。
M氏・A氏・I氏が1位に、HR氏・T氏・
KW氏が2位にあげている。
風が冷たい日でした。
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