相撲を面白くする要素に小兵の存在がある。
現代なら宇良、石浦、里山、照強などである。
今は特に重量級が勢ぞろいしているだけに、
小兵の生きる道はひときわ厳しいといえる。
135キロの横綱日馬富士さえ小さい部類に
はいってしまうほどである。北の富士、玉の
海の両横綱が130キロ台だった頃から考えれ
ば、隔世の感がある。
<宇良> <石浦>
その間の小兵といえば貴ノ花、旭国、鷲羽山、
北瀬海、寺尾、舞の海、智の花などが思い
浮かぶ。昭和51年の三月場所は、殊勲北瀬海、
敢闘鷲羽山、技能旭国とちびっ子トリオが
大活躍した場所であった。貴ノ花と旭国は
大関にまで昇進した。
小兵といえば、横綱にまでなった栃錦がいる。
栃錦が入幕したのは昭和22年夏場所である。
177センチ、77キロだった。大相撲は、体重
制がないが、全員ヘビー級である。ところが
栃錦はヘビー級どころではない。2階級下の
ライトヘビー級である。
その栃錦は小兵の取るべき相撲をこう指摘
している。
1.動くこと。動きの中で勝機をみつける
こと。
2、組まれてもつかまれても離れること。
1については当時栃錦には無駄な動きがある、
と論評された。これは酷評であった。栃錦
としてはとにかく動かない限り、勝利につな
がらなかったのである。2については、今の
人は組まれたら離れられないと思いがちで
ある。そうではない。栃錦は上手出し投げ、
二枚蹴りを駆使して離れた。「今の力士は
研究が足りない」と栃錦はかつて言っていた。
また横綱東富士には3度まともにぶつかって
3連敗した。東富士に栃錦はまともにくるな
と思わせて、4度目はけたぐりで勝った。
布石をうっておいての勝利だった。「1度
横綱に勝つと、お客さんは次の対戦から注目
してくれます」と語っている。
「私はマムシ、若乃花(初代)は鬼と呼ばれ
ました。旭国はピラニアと呼ばれていますが、
小兵力士にこういうニックネームがつけば、
しめたものです」と元栃錦の春日野が挨拶
したことがあった。現代の小兵力士でニック
ネームがつく力士は誰になるのだろうか。
4月もあと1週間でおしまい(早い)。
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よしなに
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