今、将来は大関、末は横綱という候補は、
正直あげにくい。大関まではいけるけれど、
横綱となると躊躇するのが本当のところで
ある。ところが、大鵬、柏戸は関脇以下の
ころから将来の横綱間違いなしというほどの
逸材であった。若くて、強くてなおかつ柔と
剛の対照が魅力であった。
両力士は最初の対戦から話題になった。新入
幕大鵬は初日から11連勝。大鵬の止め役とし
て小結柏戸が対戦相手に選ばれた。この一番
は熱戦になったが、柏戸に一日の長があり、
最後に大鵬を下手出し投げでくだした。
大関は柏戸が先だったが、優勝は大鵬が早か
った。そして横綱は同日だった。しかし、
大鵬が連続優勝したのに対し、柏戸は、10勝、
11勝、12勝と成績が甘かった。柏戸を横綱に
上げた理由は大関時代の勝率が大鵬と遜色が
ないというものだった。
しかし、柏戸と大鵬は優勝回数において差が
つき始めた。横綱10場所目、大鵬が大関から
横綱にかけて4連覇、横綱で6連覇を達成し、
通算11回目の優勝をしているのに対し、柏戸
は大関時代の1回しか優勝をしていなかった。
その差10回である。
優勝回数の差は取り口からくるものであった。
柏戸は前褌を取って走る相撲であった。相手
によって相撲を変えるタイプではなかった。
そのままの相撲を相手にぶつけていく。柏戸
の相撲は一番一番が独立しているのである。
それに対し大鵬は守りの相撲であり、同時に
15日間を計算して優勝へもっていく相撲だった。
かくして柏鵬時代は実質的に大鵬時代となった。
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