7位 相撲部屋があいついで消滅
親方の定年による消滅が放駒部屋(元大関魁傑)、
と三保ヶ関部屋(元大関増位山)、親方の健康上の
理由による消滅が二所ノ関部屋(元関脇金剛)と
間垣部屋(元横綱2代目若乃花)である。
いずれも後継者がいないため、放駒部屋は芝田山部屋に、
三保ヶ関部屋は春日野部屋に吸収された。横綱・大関を
誕生させた名門二所ノ関部屋は弟子が引退、親方は
元関脇金剛が退職、そのほかの親方は松ヶ根部屋に
移籍した。間垣部屋は一門外で同郷の青森出身である
元横綱旭富士を頼って伊勢ヶ浜部屋に弟子・親方が
移籍した。
それにしても部屋の消滅は相撲界の衰退と見るべきか
あるいは多かった部屋の淘汰と見るべきか。判断が
分かれるところである。。
S氏が5位、T氏が6位、A氏が7位にあげている。
<写真 間垣部屋から伊勢ヶ浜部屋移籍後改名した
照ノ富士>
6位 エジプト出身の大砂嵐が9場所で入幕
明日のホープといえども実力者がそろう幕下で
足踏みをするが、大砂嵐は3場所で通過している。
主な若手力士の幕下在位場所数をみると碧山7場所、
豪栄道7場所、栃煌山4場所、勢にいたっては32場所
かかっている。大砂嵐の快進撃がみてとれる。なお、
大砂嵐以上の記録、8場所で入幕した学生相撲の
常幸龍は2場所で幕下を通過したことを付記しておく。、
大砂嵐はイスラム教徒のため、豚肉を食べては
いけない。1日5回のお祈りがある。ほかにラマダン
という日中断食時期が場所中にあったとき話題に
なった。
A氏が遠藤と一緒のくくりで4位、T氏が5位、
H氏が8位にあげている。
5位 元大関把瑠都ついに引退
五月場所7日目大関稀勢の里戦での負傷から休場続き
だった把瑠都が九月場所前ついに引退した。28歳
(引退時)という年齢から考えると若すぎる引退
だった。
大関昇進後の把瑠都は優勝争いをするわけではなく、
序盤で早々と優勝争いから脱落していくときがあった。
そうかと思えば正面から堂々と稀勢の里を寄り切ったり、
圧倒的パワーで琴奨菊を退けたていた。両者好調で
12勝をあげているときさえ撃破している。
把瑠都という力士をどう見たらいいのか。強い
把瑠都と弱い把瑠都が存在するというのとも違う。
把瑠都は不思議な力士であった。
T氏、M氏、H氏が4位にあげている。
<写真は2010年十一月場所把瑠都が阿覧に土俵の中で
きめたはりま投げ>
(この項目続く)