◆昭和戦前
晴ノ海 最高位前12
幕内5人目の越ノ海 最高位前6
初代玉ノ海 最高位関脇
怪力でならした力士。横綱双葉山に勝ったことがある。師匠玉錦亡
きあとニ所ノ関を継いで二枚鑑札となった。玉ノ海の二所ノ関は一
大方針を打ち出した。幕内にまでなった者は自分の弟子を持ち、引
退後は分家独立して部屋を持てという画期的なものだった。ニ所一
門の繁栄の礎はここから始まった。

自身はニ所ノ関を佐賀ノ花に譲り相撲界から身を引いた。玉ノ海は
後にNHKの解説者として相撲界に戻ってきた。かつての弟弟子神
風が推してくれた。明解神風、重厚玉の海は最高の解説陣であった。
テレビ桟敷の多くの相撲ファンに親しまれた。
安藝ノ海 最高位横綱
双葉山の連勝を69でストップする歴史的大殊勲をあげた。双葉山の
連勝を止めた者が番付を上下させてはいけない、と発奮し横綱にま
で上り詰めた。相撲巧者で頭をつけ、左差し右おっつけでスピード
のある相撲を取った。引退後理事になった時期があったが、昭和30
年相撲界を離れた。

汐ノ海 最高位大関
赤銅色の肌と筋肉質から赤鬼と呼ばれた。突っ張りはすさまじくか
った。昭和19年、双葉山を押し倒したことがあった。
大ノ海 最高位前3
大ノ海の前は若ノ花を名のっていた。力士としてより花籠親方とし
ての力士育成の手腕がすばらしかった。横綱若乃花をはじめ若秩父、
若三杉、若ノ海など七若を育てた。

彼らが引退したとき竜虎が主な所属力士だった時期があった。それ
だけで終わらなかった。さらに横綱輪島、大関魁傑、関脇荒勢など
を育てた。まさに名伯楽だった。
(この項目続く)