横綱の1ケタ勝利の検証は3回目を迎えた。
数字は場所数
横綱 横綱在位 7勝以下 8勝 9勝
北の富士 27 7 2 2
玉の海 10 0 0 1
琴櫻 8 2 1 1
輪島 47 8 0 2
北の湖 63 10 1 3
2若乃花 28 6 0 1

燃える要素があると強い北の富士。清國が新大関で優勝したことが
火をつけた。翌場所から12勝-13勝優勝-13勝優勝で横綱に昇進し
た。大関時代が21場所と当時最長記録保持者だった。15勝-8勝-
15勝の記録がある。玉の海亡き後の2場所目から4場所乱調だった。
最後の優勝から引退まで8場所連続優勝がなかった。
玉の海は横綱3場所目9勝6敗で批判を浴びた。そこから玉の海の
相撲が安定した。腰で取る玉の海の相撲は双葉山と比較する楽しみ
が出てきていた。昭和46年九月場所では貴ノ花相手に二枚腰をみせ
た。現役で亡くならなければどこまで到達したか。つくづく惜しま
れる。横綱連続優勝なしは新横綱からの3場所であった。

琴櫻は晩年32歳で連続優勝した。横綱は北の富士一人だったが、将
来性はなく無気力相撲で注意された過去があった。そのため、琴櫻
が横綱になっても困るし、ならなくても困る事態だった。結局琴櫻
は横綱になったが、横綱優勝は1回だった。8勝、9勝も経験し、
横綱連続優勝なしは5場所だった。短命で終わったが、桜の花のご
とく散った。
輪島は横綱になるべくしてなった。現時点で学生出身唯一の横綱で
ある。輪島が最も強かったのは横綱2場所目から3場所目だと筆者
は思っている。左前みつ右おっつけからの下手投げは強烈だった。
輪島はまさに天才であった。北の湖とともに輪湖時代の時期があっ
た。優勝なしは9場所連続であった。9勝が2回ある。

北の湖は怪童と呼ばれた。輪島に対抗したのは貴ノ花ではなく、北
の湖であった。それでも大関から横綱にかけて優勝決定戦を含め輪
島に6連敗したことがあった。北の湖は最年少で横綱になったので
記録の面で期待が大きかった。
優勝決定戦でよく負けたことが響いて優勝は24回だった。晩年は休
場が目立った。23回目の優勝後13場所連続優勝なしを記録した。8
勝が1回、9勝が3回ある。そのうち2回は途中休場である。
2代目若乃花は素質・素材は抜群だった。柔らかい足腰で懐が深か
った。あまいマスクで人気も高かった。元安藝ノ海は北の富士級の
横綱になれるとみていた。優勝は4回で期待通りにはいかなかった。
最後の優勝から引退場所まで14場所連続優勝がなかった。
(この項目続く)