大相撲

三賞多数獲得者たち5

■三賞獲得9回

鶴竜 殊2・技7
鶴竜は志願兵だった。大相撲の入門志願をしたため
日本語がわかる教授に翻訳してもらい、それを日本
相撲振興会に送った。受け取った会長は会員と相談
後井筒(元逆鉾)に託して入門が実現した。

<鶴竜>

入幕は平成18年十一月場所であった。平成20年一月
場所、前頭8枚目で鶴竜は11勝4敗で技能賞を受賞
した。うまい相撲とは自分十分の体勢をつくれる力
士である。そうすることによって、自分が最も力を
発揮することができる。鶴竜のうまさはそこにあっ
た。毎年技能賞に輝いた。

大関直前2場所は殊勲、殊勲・技能のダブル受賞で
あった。殊勲は次点白鵬、優勝白鵬に勝って獲得し
た。大関直前の場所は優勝同点の13勝であった。

照ノ富士 殊3・敢3・技3
照ノ富士の場合は新入幕後の一期と序二段から再出
発した再入幕後の二期に分けられる。一期目は9場
所目に大関に昇進している。大関直前3場所で敢闘、
殊勲・敢闘、敢闘を受賞している。殊勲賞は優勝白
鵬を破ってものにしている。大関直前の場所は初優
勝している。

<照ノ富士>

関脇に落ち、さらに序二段まで降格し再入幕するま
で3年2場所の時間がかかった。二期目の再入幕は
いきなり優勝した。同時に殊勲・技能のダブルで三
賞を獲得した。大関直前3場所は技能、技能、殊勲
に輝いている。大関直前優勝している。再入幕から
6場所目での大関だった。照ノ富士驚異の復活であ
った。

■三賞獲得10回

栃錦 殊1・技9
栃錦が入幕したのは昭和22年夏場所だった。体重は
75キロであった。動き回り、しぶとい相撲を取った。
ついたあだ名がマムシであった。三賞制度が始まっ
たのは昭和22年秋場所からであった。

<栃錦のブロマイド>

年2場所から年3場所の時代に栃錦は技能賞を初受
賞するとその後ほぼ独占していった。5場所連続技
能賞受賞を記録した。出し投げ、二枚蹴り、内掛け
など実に多彩な技を見せた。1回だけ殊勲賞を獲得
している。12勝の大関吉葉山に勝ってのものであっ
た。大関昇進とともに三賞受賞は終止符をうつこと
になった。

北の洋 殊4・敢1・技5
攻めの速さから白い稲妻と呼ばれた。左四つ寄り、
網打ちを得意とした。時津山、若羽黒、安念山とと
もに立浪四天王と言われ、その元締敵存在だった。
北の洋は年3場所・4場所・5場所・6場所を経験
している。年4場所、年6場所をそれぞれ4年経験
している。

<北の洋のブロマイド>

初の三賞は昭和28年再々入幕の翌場所の夏場所に技
能賞を受賞した。1年後に敢闘・技能をダブル受賞
した。昭和30・31年は三賞空白期である。昭和32年
春場所技能賞、秋場所殊勲賞をものにしている。殊
勲賞は横綱吉葉山、大関若ノ花からの勝利によるも
のである。。

昭和33年は技能賞、殊勲賞に輝いている。殊勲賞は
14勝優勝の朝汐に土をつけてモノにした。昭和34年
の殊勲賞は横綱若乃花に勝って獲得している。翌年
殊勲賞と技能賞を受賞している。これが最後の三賞
となった。

(この項目続く)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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