大相撲

2024年6月大相撲ショート

★横綱3代明石・綾川・丸山は横綱ではなかった

現在歴代横綱と称して一覧になっているものは幕末
の陣幕が作成したものであった。陣幕は相撲史に通
じていたわけでなく、人の知恵を借りたようである。
これを鵜呑みにしているのが現在に伝わっている。

地鎮祭の際の地踏み(四股と同じ動作)が横綱の始
まりのきっかけであった。これを発展させたのが、
相撲の家元吉田司家であった。この儀式を土俵で行
い、上覧相撲の演目にするアイデァ打ち出したので
ある。

<陣幕久五郎通高事跡より>

一人で行う土俵入りにしめなわを腰にしめて行った。
このしめなわを横綱と称した。吉田司家が幕府に願
い出ていた免許を与えられたのが谷風と小野川であ
る。最初に1人土俵入りを行ったのが、1789年11月
寛政元年冬場所7日目から披露した。これが評判で、
横綱の土俵入りの始まりとなった。谷風も小野川も
当時の地位は関脇である。

したがって横綱は地位でも、強豪大関に与えられる
称号でもないことがわかる。横綱は現在とはまった
く意味が違うし、谷風が本当の祖である。横綱が実
質地位化したのは明治の常陸山からである。

★年寄名 個人の変遷

記憶に頼るより記憶に頼れ。それが個人の年寄のう
つりかわりである。

若獅子は以下である。
鳴戸→峰崎→荒汐→小野川→千賀ノ浦→湊川→花籠
→竹縄→芝田山→藤島→佐ノ山
平成8年7月協会を離職

<朝日山>

琴錦は以下である。
準年寄琴錦→若松→竹縄→浅香山→荒磯→秀ノ山→
中村→朝日山
琴錦は佐渡ヶ嶽(元琴櫻)部屋出身で尾車(元琴風)
屋部に移籍していた。元大受から朝日山を譲るにあ
たり、伊勢ヶ濱一門の理事候補に投票するよう言わ
れたのか、現在は伊勢ヶ濱一門に身をおいている。

★決まり手で出てない技

それは撞木反りである。肩にかつぎあげて後ろに反
る技。肩に対戦相手をかつぐこと事態が大変なこと。
特に重量級大相撲ではありえないかもしれない。

<蔵前国技館の絵葉書>

★蔵前国技館に冷暖房設備が入ったのは

蔵前国技館は昭和29年に完成し、秋場所から完成国
技館が使用された。蔵前国技館は夏は暖房、冬は冷
房と長い間言われてきた。元双葉山の時津風理事長
は熱戦であったまってくれと語っていた。冷暖房設
備は昭和45年内に完成した。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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