大相撲

曙死去、54歳短過ぎる人生

2024年4月11日

曙が亡くなった。闘病生活をおくっていたのは知っ
ていたが、あまりにも若過ぎる人生だった。曙とい
えば若貴と同期だった。常に出世争いをしてきた。

大関・横綱は曙が早かった。曙は外国出身の初の横
綱だった。曙の突きは威力があり、若貴もいっぺん
に持っていかれた。

<曙>

貴乃花が台頭してくると曙は2番手になった。曙は
11回優勝した。まだ取れそうだったが、師匠(元高
見山)とうまくいかなくなり、あっさり引退した。

引退後は年寄曙を名のっていたが、総合格格闘技に
転向した。総合格闘技では成績があがらず、プロレ
スへ転向した。7年前から闘病生活にはいっていた。
リハリビもしていたが、体重は70キロ台まで落ちて
いた.。

優勝11回一代の英雄の目は永遠に閉じられた。心不
全であった。さようなら曙。

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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